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表参道で働くシニアのブログ

声に出して読みたいラッスンゴレライ、もしくは僕たちは「コール」のリズムで音楽にノっている

けっこう前になるけど「「ラッスンゴレライ」とその仲間たち」って記事を書いたあたりから、ずっとラッスンゴレライについて考えていて、何を考えているかというと、これはリズムネタというけれど「何のリズムだろう?」みたいなことなんだけど、そんなことを考えてるうちに「「ラッスンゴレライ」はどこが面白かったのか」っていう大ヒット記事が出ちゃってたり、今月に入ってからはなにやら陰謀論めいた話題にすらなってて、もうこのネタもかなり今さら感あるけど、まあひっそりと書いてみようとおもいます。

【公式】8.6秒バズーカー『ラッスンゴレライ』 - YouTube

声に出したいのは「ラッスンゴレライ」ではなくて

「ラッスンゴレライ」の何が耳に残る、頭について離れない、つい口ずさんでしまうか、というと、それはネタのタイトルそのものの「ラッスンゴレライ! ラッスンゴレライ!」という繰り返しではなくて、「説明してね!」と振られて出てくる「ちょと待てちょと待てお兄さん」だ! というのは近所に小学校があったり小学生がいたりする方にはすっかりわかってることだろう。

というのは小学生ずっとそこばっかり繰り返して叫んでるし、ゴールデンタイムに移って一発目の「しくじり先生」のサブタイトルが「ちょっと待って3時間スペシャル!」だったことからも、ラッスンゴレライで本当に流行っているのは「ラッスンゴレライ」じゃなくて「ちょっと待って」のほうだというのがわかる(ほかにも雑誌で「ちょっと待ってお兄さん」って特集タイトルがあったりっていうのを見かけたり)。

じゃあ、なぜここのところがそんなに耳に残るのだろう?

リズムを崩さず譜割りで遊ぶ

その「しくじり先生」の番組内で、堀江貴文さんが

ちょーと待ってちょーと待ってお兄さん、楽天優勝ってなんですのん?

ってネタをやって、それで「なんか違う!」と言われてたけど、そう、なんか違う。ここは「ちょーと待って」とか「ちょっと待って」とかじゃなくって「ちょと待て」なのだ。

本来なら「ちょっと/まって」と促音(つまる音)が2つ続けて発音されるところを、8.6秒バズーカはつまらない。いや、ネタが面白いかどうかってことじゃなくてですね、音が、あくまで音がつまらず、平板に「ちょと/まて」とやる。

リズムネタということでリズム的にいうなら、本来「ちょっと待って」をリズムに載せるなら「タッカ/タッカ」となるのが自然だろう。堀江さんがやった「ちょーと」は山口百恵さんの「プレイバックpart2」風ではあるけど、音符に載せるとおそらく「タッカ」になる、はず。

「タッカ/タッカ」とやったほうが自然なところを、敢えて「タタ/タタ」とつまらないところが、このヴァースの印象をちょっと強くしている。これは音楽として、リズムに言葉を載せる行為として考えるなら、いわゆる「譜割り」を工夫しているということになるんだろう。

このネタは、いわゆるコンパ芸などの「コール」にノるようにできていて、そこからは決して逸脱しない。だから、極めてシンプルな四分音符の頭を「パン、パン、パン、パン」と手拍子で打っていくリズムからは決してズレないし、お客さんがリズム的に「あれれ?」とおもう箇所がないように、そこはきっちり押さえている。

きっちりと押さえつつも、3度目の「ちょっと待って」では「チョチョッチョットマテ、オニさん。チョーっと、お兄さん、そこ」と、譜割りでもっと遊んで、ちょっとハードルを高めている。だから、なんか頭に残るし、つい声に出してやってみたくなったりもする。

ここも決して「コール」のリズムからは逸脱しないんだけど、譜割りの工夫で面白さを出している。次の歌詞「そこ、ラッスンゴレライちゃいますのん?」の「そこ」が前に食い込んできてたりもする。ただ、これでリズムとして印象が変わってるかというと、とくに変わったところもなく、あくまでお客さんが「パン、パン、パン」と手拍子してくれる「コール」の形は崩していない。

ピョンコ節からコールへ

前回「「ラッスンゴレライ」とその仲間たち」って記事を書いたとき、副題を「リズムネタに関する考察。とんねるずにはじまる「コール」の系譜について」としたんだけど、その「系譜」っていうことについてはこう書いた。

今のリズムネタは「ハイ・ハイ・ハイ・ハイ」とテンポよく手拍子をとって、そこにあわせてノッていかないと調子が出ない。

このリズムの取り方は、コミックソングや音曲、壮士演歌から来たものではないようなきがする。むしろ宴会芸、とくにコンパでの一気飲みや盛り上げのいわゆる「コール」と同じようなリズム感ではないか……

70年代まで日本の演芸では「○○節」だったものが、80年代から「ハイハイハイハイ」というコンパ・ショーパブな「コール」のリズムに入れ替わっていった……。ラッスンゴレライ、武勇伝、ラララライ体操、あるある探検隊、といった現代のリズムネタらしいリズムネタは、この系譜にある……。

ラッスンゴレライの「ちょっと待って」が「チョット/マッテ」ではなく、「チョト/マテ」であるのも、もしここを「チョット/マッテ」とやってしまうと、それは昔懐かしい「ピョンコ節」のリズムネタになってしまうのを、あえて避けているともいえる。

ピョンコ節については「ピョンコ節」などを参照。一種の符牒であり、音楽用語としてちゃんとしたものではないようだけど、七五調の日本の音楽によく合うリズムの取り方だ。

日本語を軽快にリズミカルに音楽化しようとしたときについ自然に出てくる「ピョンコ節」を避けて、平板で等拍な「コール」でノろうとするのが現代の日本のリズム感で、それは'80年代の若者(いまやアラフィフの中高年)あたりから広まっていったのではないだろうか。

J-POPも「コール」でノれる

ここから話はかなり雑に印象論だけになっちゃうんだけど「ラッスンゴレライ」のような譜割りは、最近のJ-POPを聞いてるとよく耳にするような気がしていて、リズム的にはとくに変わったところのないエイトビートで、むしろここで何度も書いている「コール」のリズムの取り方と同じように、曲の頭から客が「パン、パン、パン」と手拍子をしてノッてるところに、ボーカルが歌う歌詞の譜割りだけが、自由にズレたりしながら面白さを生み出している。

日本のロック・ポップスにおいて、譜割りの工夫というのは、はっぴいえんどにしろキャロルにしろRCサクセションにしろサザンオールスターズにせよ、その曲のロックっぽさを作り出すため、黒っぽいリズムに日本語を乗せるための工夫だったというのが通説であるが、最近ではそういうブルーズを感じさせるためでなく、リズム自体はずっと平板な「コール」のビートで終始しつつ、その代わり譜割りがもっと自由に工夫され、遊びまわっているような印象がある。

日本のポピュラー・ミュージックは、何らかの形で常に欧米のパクリであって、できるだけ本場っぽいほうがエライという時代がずっと長くあった。そんななかで節回しやメロディはなんとか日本調を脱し、コーラスでハーモニーも付けられるようにはなったけど、最後の難関がアフロメリカンなリズム感覚であって、北米のブルーズ由来のもの、南米やカリブのいわゆるラテンのリズムなどには、なかなか体がついていかないので、本場のようには踊れないというジレンマもあった。

そうやってるうちに'90年代後半、H Jungleあたりを境に、ちゃんと意識して練習・訓練しないとうまくノレないアフロなハネたビート、つまり新しいダンスミュージックやニューリズムを、日本人はもう取り入れるのを諦めてしまったように思える。

リズムはもう等拍ということだけを活かした「コール」でいいじゃん、その代わりにボーカルがリズムの制約をうけない自由な譜割りで面白さを追求したり、1曲のなかで何度も展開があってめまぐるしくリスナーを魅了したり、日本の音楽全体がそういう流れにある中で、その最先端のやり方をお笑いに落とし込んだ最新型「リズムネタ」が「ラッスンゴレライ」であったといえるのではないだろうか。

と、夜中のテンションで書いてしまったのでかなり主語が大きくて大げさな妄想みたいになったけど、いろいろと突っ込みどころも多くて面白いかもなと、とりあえずこのまま公開してみます。

鉄道唱歌 全曲[地理教育 鉄道唱歌 全5集334番]

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