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表参道で働くシニアのブログ

オタクと偶像(アイドル)天皇制

去年の年末にちょっとバズっていたこのまとめについてちょっと気になることがあって書きたいとおもっていたら年を越してしまったので新春の一般参賀も終わりましたが、簡単に書いておきます。

オタクが天皇誕生日の一般参賀に行ったら神イベだった - Togetter

この記事そのものと、それからこの記事への反応、はてなブックマークに集まっているいろいろな反応を見て、いくつかの重層的なイメージができているなあとおもった。

ひとつは一般参賀について、アイドルの握手会やコンサートのようなイベントとして楽しむというあり方が提起されている。これはひいては皇室や天皇を「アイドル」として扱うということにつながり、天皇制そのもののってなんだろう? ということにもつながる。

もうひとつはそういった楽しみ方をする「オタク」というものについて、発言者の行動スタイルはおそらくアイドルオタクのそれということができるだろうが、はてなブックマークのコメントでは「『オタク』はそういったものではないのではないか?」といった声も聞かれる。

そもそも「おたく」という言葉はSFマニアやアニメファンに対する蔑称としてメディアに登場したとされている(Wikipedia参照)。

それを、SFマニアやアニメファンならではの良いところがあり、それをもっとアピールしようという動きがある一方で、なんらかについて熱狂的な愛好を示すひとを「なんとオタク」と拡張して使われるようになったことで、おなじ「オタク」という言葉が指し示す様態がすでにひとつではなく、ひとによってあるいはコンテキストによって異なる理解をしているということがわかる。

で、ここまでが実は前置きで、最初の「おたく論争」は中森明夫と大塚英志のあいだでなされたということだけど、その大塚英志の『物語消費論』という本に「かわいい天皇のこと」という小論が掲載されている

定本 物語消費論 (角川文庫)

定本 物語消費論 (角川文庫)

あ、ぼくの手元にあるのはこの文庫じゃなくて1989年刊行のこっちのハードカバーのほう。

物語消費論―「ビックリマン」の神話学 (ノマド叢書) | 大塚英志 - Amazon

でもって1989年刊行ということからわかるように、これはいまのことではなく、ちょうど病に臥せっていた昭和天皇の御見舞の記帳に(天皇主義者とは思えない)女子高生がかなり並んでいたということから、さまざまな主義とは切り離して単に「かわいい」あるいは「かわいそう」な存在として昭和天皇をとらえることについて書かれていて、いま読むとそういえば当時は女子高校生ブームのはしりだったりしたなあとおもったりするわけですが、それから30年。そうちょううどまるっと30年経って、次代の天皇に対してその「かわいい」存在を積極的にアイドルのように応援するというアクティビティにまで進化しているというのもすごい。

病に倒れた老人を「かわいそう」とする女子高生の純真さ(小論中の仮想的なものであるにせよ)と、陛下にファンサもらったという熱量あるドルオタっぷりの落差が30年という年月なのかもしれない。あるいは「おたく」と「オタク」の違いというか、理想と現実に落差ありすぎて耳キーンとなるやつというか。

もうひとつ気になるのは、同じように主義から切り離してアイドル的にとらえられていても、昭和天皇といまの天皇ではちょっと経緯が違うように思えるところがあって、昭和天皇の前半生は現人神であり国家元首であり、象徴とされたのは在位途中から。一方、いまは即位したときからずっと「象徴」である。象徴に即位したといったもよいかもしれない。

それゆえか、この「象徴」とは何をするものか? について、より深く真剣にとらえていたようにかんじる。ひとつには陛下の「おことば」でわざわざ「象徴としての務め」と発言されていて、「象徴」って「務める」ものなのか? とびっくりしたことを覚えている。

有史以来さまざまな国王、皇帝、専制君主が存在しただろうけど、自らの存在は「象徴」であること自覚し、そのための行動を意識してとった人ってこれまでいるのだろうか? 象徴というのは、日本国憲法のGHQ草案を翻訳する際に天皇が「symbol」とあり、辞書をひいたら「象徴」とあったのでそう訳しただけだと白洲次郎は述べているが、そもそもGHQはどういった君主制度を想定して「シンボル」だといったのか?(あるいは君主制ではなくするつもりだったのか?)

ともあれいまの天皇は西に東にさまざまな被災地に自ら頻繁に足を運び、膝を折って国民と対峙することが象徴としての務めと自らに任じていたように思えるが、即位したときから完全に象徴として存在する君主というのはこの人くらいであろうから、さまざまな形で国民と対話をすることが象徴の務めということは、この人とその運営が自ら作り上げ、自ら演じてきたものと言えるのではないだろうか(現在のスウェーデン王室は日本の天皇よりさらに権限のない儀礼的国家元首となっており、ほかにそれに近い国もいくつかあるようなので、何かしら運営の参考にできるものはあったのかもしれない)

そうやって自らが努力して象徴(シンボル)たらんとした陛下は、あまりに国民に寄り添い、頻繁に接触イベントをもったこともあって、とうとう偶像(アイドル)になってしまわれたのか……と最初のTogetterを読んでおもったのだった。