in between days

表参道で働くシニアのブログ

地上の夜

1993年9月発売の1stアルバム『犬は吠えるがキャラバンは進む』。このアルバムにはピークが2度あって、1つは先行シングル「天気読み」とリカットシングル「暗闇から手を伸ばせ」による前半の山で、2つ目は13分にもおよぶ大曲「天使たちのシーン」が山となっている。それぞれレコードのA面とB面という好対照を構成していて、なんでアナログを切らなかったのかと不思議になる。

「地上の夜」はその2つのピークのちょうど間に挟まれて、インタールードである「向日葵はゆれるまま」に向かう谷間の口に差し掛かった位置にあって、抽象的なA面とヘビーなB面のちょっとした息抜きになっているので、あまり正面から顧みられることの少ない楽曲であるけれど、一枚の絵のように風景が浮かんで来る佳曲だ。このアルバムで一番好きなのは「カウボーイ疾走」なんだけど、「地上の夜」はその次に好きだ。



思い出を越えてくチケットを/君が捜してるんなら
あるだけの毛布やマフラーと/俺の車に乗りこみ
見る夢は君を虜にするだろう
地上の夜/この星の現在位置

文学とかよくわからないままて適当なことをブッコクが、この曲は「ビート」だ。ギンズバーグの『吠える』とかそういうやつだ、たぶん。いや、読んだことないから適当なんだけど、なんちゅうか「放浪する都市生活者」っつーイメージなのだ。俺の車に乗り込んじゃうわけだ、あるだけの毛布やマフラーといっしょに。そして何かを探しに出かけてしまう。それが見つかるかどうかなんてのはここでは問題になってない。自分の周りの手に持てるだけの荷物を持ってとっとと旅立ってしまうという姿勢。旅立つということが重要なんであって、書を捨てよう街に出よう。とういうか街なんかとっとと捨てて次の街へと流れていってしまう。

そういう耳で聴き直して見ればこのアルバムが頭から尻まで「放浪する都市生活者」によるボヘミアンラプソディなんじゃねえかっつー気がしてくる。小沢は僕らにこう問い詰めている。「どうして旅に出なかったんだ?」(→amazon)。つーことで、オザケンとはフレデリーマキュリーと友部正人の正当な後継者であることがいまここでわかった(マジか?)

南風はやがて春に山を昇り
土を濡らす暖かな雨になる

ここで小沢はまだ旅のさなかにいて、南風や、やがて降る雨を停めた車の脇に立って眺めている。そして、小沢はやがて放浪を追え、街に帰ってくる。そして、土を濡らす暖かな雨が上がったその後で「お茶でも飲みに行こう」なんて電話をかけるところから始まるのが、次作『ライフ』なのだ。