in between days

表参道で働くシニアのブログ

恋しくて

1997年第3四半期に続けざまにリリースされた2枚の4曲入りシングルのうち、7月に出た「Buddy 恋しくて」の2曲目。このシングルのジャケの小沢はVANSを履いてMTBにまたがり、やたらとスポーティなんだけど、それは1曲目「Buddy」のイメージ。「恋しくて」の方は終わった恋を、こんがらがって終局を迎えてその後から振り返っている、甘くも切ないブロークンハートなラブソングです。

別れだと終わりだのと一言も書いて無いんだけど、よく読めば失恋の歌とわかる凝った歌詞。ドリーミーなシンセから入るイントロや、蛇拳やキムチラーメンといったアリガチなようでなんか変なアイテムのチョイスも小沢風で、失恋の甘酸っぱさが絶妙に表現されている佳曲。だと思っていた……。



それだけの曲だと思っていたんだ。でもニーネによるカバー(→amazon)を聴いて、自分の不明を恥じた。このカバーははっきり言ってそんなに凝った、あるいは上手いカバーではない。「恋しくて」をガレージ風に、もっと言うならThe ピーズ風にただ荒い演奏でやってみましたってだけのように聴こえる。

だけど、これがやたらと胸にしみる。とても切なくて切なくて、胸をかきむしるほどヤリキレナイ気分が、イヤというほど伝わってくる。

いつもいつも君が恋しくて/泣きたくなるわけなんかないよ
思い出すたび/なにか胸につっかえてるだけ
それで何か思っても/もう伝えられないだけ
baby!

毎行末に「!」を2つも3つも付け足して、シャウトし倒してもまだ足らない。何ひとつ飾らない、どこにも偽りの無い、正直すぎる心情の吐露。後悔と強がり、諦めたはずなのに諦めきれない苛立ちともどかしさ。人の心に浮かんでは消えていくさまざまな思いを残さず掬い取っていき、そのすべてを込めた「ベイビィ!」の一言。

おそらくはニーネのように、あるいはそうでなくともコレだけの歌詞を書いたなら普通の音楽家がそうするだろうけど、「恋しくて」は下手なアレンジを廃して、極めてシンプルにシンプルに心情の機敏のままに歌うべきで、そうしたときに最も効果を発揮するような歌じゃなかろうか。しかし、結局リリースされたこの曲は、甘い甘いアレンジで感情の襞が塗り込められ、シリアルママとかブドウといったディティールの変さに耳がいくようになってしまっている。

この2枚連作シングルにはそういう甘酸っぱい曲が多い。というかこのシングルの「Buddy」と次のシングルの「ダイスを転がせ」だけが例外で、あとはみんなベタなラブソング。ちょっと甘いアレンジでちょっとセンチメンタル。それは何故なのか?

ということをおそらくここで書いてないと評論としては片手落ちなんだろうけど、実際のところ評論を目指して書いているわけではないので、てゆかオレにはその理由はサパーリ見当がつかない。なんでこんな甘いアレンジにしちゃったんだろう?

「ラブリー」から「さよならなんて云えないよ」までで炸裂した「僕のアムール」は、年が明けてみれば「大人になれば」なんてアーバンなブルーズに収斂しちまって、長い冬眠前のラストシングル「春にして君を想う」の静かなタンゴに至ってしまう中間にこの「恋しくて」や次作の「指さえも」は位置している。そういう俯瞰で見りゃあすごく収まりがいい。

いいんだけど、収まりが良けりゃそれでいいのか? っつー気もするし。シングルを1枚通して聴けば、この甘いアレンジで成功してるように思える。なので、このアレンジで良いのか悪いのかってのも簡単に断言できないけど、甘〜くやさしいアレンジが、逆にリスナーの感情移入を拒否しているってのは、なんだか面白い。