戦前の1942年、名古屋に入団し、投手と野手でプレー。戦後は投手として活躍し、西鉄時代の1952年にはパ・リーグ最多の23勝を挙げた
- 野口 正明 [ファイターズ人名事典]
- 1年目は野手。2年目から投手野手兼任。西鉄に移ってからは投手一般だったようです。野手から投手へのコンバートって珍しいんじゃないでしょうか?(逆はたくさんありそう)四番ピッチャーという景浦将のような人もいますけど……。
- 記録23 番外編〜延長戦あれこれ [プロ野球考古学]
- 1942年5月24日、延長28回日没コールド引き分けの試合に捕手として出場。18歳のルーキーです。3試合分戦ったのに試合時間が4時間に満たないってのがスゴイ。