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表参道で働くシニアのブログ

言いたいことが伝わることの不確定性原理

「もしかしてこういうことが言いたいの?」と詮索させるよりも、直接伝えた方がずっと正確だよね。

jkondoの日記 - 言いたいことがあったら自分の口で言って欲しい

正確には伝わるだろうけど、場合によってはかえって関係がコジれたりするかもしれないですね。

言いたいことを正確に伝えることよりも、相手との関係をゼロから築いてったり、コジれかけてる仲を修復したりしたいときには、それこそ中坊がはじめて告白するときから、国際政治における駆け引きまで、直接言わずに第三者を経由させたり相手に詮索させたりといった各種プロトコルが使われますよね。

そういう場面では、言いたいことをあえて自分の口から言わないほうが最終的に上手くいったりする。

その違いってなんなんだろうって考えて、ふと「立ち位置」なのかなって思った。

「伝わらなさ」の量って常に一定なんじゃないかな

言葉には力があるから、あることを伝えることで、お互いの立場が逆転したり、急接近したり、逆に修復不能なまでに断ち切れたりする。そういうときに、発言者が言いたいことをより正確に言おうとすると、お互いの立ち位置が不定になる。つまりその発言のあとに両者の関係がどうなっているかはまったくわからない。出たとこ勝負だ。

一方で、発言したあとの立ち位置を確定しようとすると、つまり相手に注意したいことがあるんだけど仲が良いのは壊れないようにしたいとか、愛の告白をしたいんだけど、決定的に拒否されて今後二度と会えないなんて自体は避けたいとか、そういう要素が入り込むと、言葉の切れ味は急に鈍って、言いたいことは歯に衣を着せたゆうな物言いになったり、ちょっと誰々ちゃんに言いたいことあるんだけど間に入ってくれないかなあ、だったりする。

ということで、ここでひとつの数式が導かれるのではないか。

言いたかったことが相手に伝わった情報量×伝えたあと立ち位置の確からしさ=一定

これを「伝わらなさの不確定性原理」と名付けたい。

言いたいことを自分の口から言うとき

言いたいことを直接伝えて上手くいくケースというのは、どういうときだろう。

  • その内容によって発言者と聴き手の立っている位置に変化が無いことが明か。
    • 立ち位置の不定さを不問にしてもかまわない。
      • 純粋に学術的な議論とか
      • プログラミングのバグ出しとか
      • なんとなく理系っぽい感じがある
  • 発言者が、出たとこ勝負につよい
    • 言いたいことはとにかく全部言って、あとから細かく修復するとか。
  • 発言者が、そもそもひとの立ち位置とかにまったく気を遣わないひとだ

ほかになにかあるかな。

言いたいことが伝わらなくたってかまわない

まったく逆に、立ち位置を確かめるためだけの会話というのもあるよね。

ごく親しい関係のひとたち、家族とか恋人とか友人とかが、普段なんの気無しにかわしているフツーの会話ってたいていそうなんじゃないだろうか。テレビを見ながら「最近この女優は太ったねえ」って言ってみたりとか、どういうどーでもいいこと。

そういう会話は、それを交わすことによってお互いの立ち位置を確認し合う、ということのほうに重点があるんじゃないかな。別にその言ってる内容が伝えたくて会話をするわけじゃなくって、会話によって伝わってる情報量なんてほとんどゼロに等しいんだけど、「あなたのそばに僕がいるよ」ということを確定するための会話。そういうものもあるんじゃないかな。

「かけひき量」

そういう親しいひとの無意味な会話(情報量=ほぼゼロ、立ち位置確保=最大)と、上に挙げたようなモヒカンな言動(情報量が最優先で、立ち位置の確保はほぼゼロ)の間に普通の恋愛とか社内政治とか論争とかブログとか「おまえもなー」とかそういった多種多様な「かけひき」が存在する。

両端にある無意味会話とモヒカン族では「かけひき」はゼロだが、その中間では急激に増大する。これを「会話のかけひき量」として、やはり数式化できるのではないかと思った。でもどういう式になるのかはよーわかりませんが。

結論はとくにない

いやー、たんに「不確定性原理」って言いたかっただけです。もうしわけない。