もう40を越えてから、あまり音楽にこだわりを持つのはやめにしようとおもった。そもそもぼくは小学校のときにラジオから流れてきたローリング・ストーンズにガツンとやられてそれっきりロック一筋、という音楽体験をしてきたわけではなく、金八先生を見て武田鉄矢が気になって海援隊のシングルを集めはじめ、その後も、さだまさし、尾崎豊、東京少年、というあまり趣味が良いとは云いきれない音楽遍歴を経ていまに至っているのであって、音楽を聴く上でいちばんアテにならないのが自分の感性であるということは身に染みている。
ジャンルなんか関係ねえんだよカッコいいと感じた音楽を聞けばいいんだ。みたいなことは決して口にしない。自分がカッコイイと感じたベースがどこにあるのか、レコードの解説とジャンル分類とレコードコレクターズの裏付けを常に必要としながら音楽を聞いてきたのだけれど、そうであるならなおさら「フュージョンってなんかチャラチャラしてるよなあ」とかそういう先入観を抜きにとにかくたくさん聴いてかないとダメだよなとおもいたって、さいきんはいろんなところで音源を買ったり盤を借りたりして(盤を買うことはほとんどない)キース・ジャレットの唸り声を「これも味だ」と我慢できるまでにいたった。
で、エルビスを聴いてる。ご存知腰振りフリンジ男だ。
エルビスはカッコ悪いと思っていた。カッコいいことはなんてカッコ悪いんだろう。という逆説的な意味ではなく、一時的にデビュー時にあまりに大きなことをしでかしたので、その後もダラダラとくだらない映画に出演しながら自分のキャリアをウスーく引き伸ばしつづけた米国の加山雄三、というくらいのイメージで、避けてきた。いや別に避けてたわけじゃないんだけど、あんま真剣に聞かなくていいか、みたいな、入隊前の音源をそのうちいつかまとめて聴こうくらいの扱いだったんだけど、まあ昨日なんか気が向いて、1969年のメンフィスセッションといわれるなんかすごく良いらしい音源を集成した2枚組をたまたま借りて、聴いた。
ソウルフルなセッションでけっこういいなあくらいに聞き流しながら、2枚目の4曲目の「ア・リトル・ビット・グリーン」という曲まで聴き進んだところで、なんだかわかってしまうものがあった。ああ、そうか。切ないのか。そうだセツナイんだ。青春の切なさ、といった一時的なものではなくて、人生の切なさ。人生の儚さではない。まったく儚くはない。プレスリーの一生は儚かったかもしれないけど、歌はセツナイ。
こういう大人の切なさは、東京にはあまり無いんじゃないだろうか。たぶん大阪のものだ。大阪ベイブルース。ミナミの帝王。夫婦善哉。そして、トカゲのおっさん。そう。2枚目の5曲目以降、エルビスの切ない歌声を聴きながら、ぼくはずっと、全身緑色の着ぐるみにハゲヅラで左右に飛び跳ねる松本人志の姿を思い浮かべていた。セツナイ。松本人志はゴールデンタイムのお茶の間にひたすら気狂いを投下し続けてたお笑い界のイノベーターであるが、その狂人たちはみな、いちようにセツナイ人生を送っている。その光景。
それは80年代に一斉を風靡したビートたけしの底抜けに底が抜けてあっけらかんと何もない空白の狂気とはまた違った狂気として、90年代を彩った。アレこそは大阪のセツナイ狂気であり、そしてエルビス・プレスリーが抱えていた切なさなのだろう。とおもった