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表参道で働くシニアのブログ

「ネットに強い」ひとほどフェイスブックは使いづらい

フェイスブックが使いにくいみたいな意見はよく見かける
ネット初心者・上級者・古参、関係なく見かける
このひと、ネットのリテラシー高くて、ほかのツールはすぐさくさく使えてるのに、フェイスブックにはすごいダメ出してる、みたいな人いる

でも、個人的な感覚として、そんな使いにくいインターフェースではない

慣れなのかなともおもったけど、いつまでも慣れないってひともよく見かける
ということは、慣れとかリテラシーとかじゃない何かがある
むしろ、既存のネットに慣れてたりリテラシーがあったりすると、それが邪魔をするような何かがある

例えば、ニュースフィードが投稿を間引いたり、並び替えたりするのを、すごい怒ってるひとをよく見かける
時系列で全部を並べろ、という
でも、時系列で全部を並べられても読めないんだから、それなりのアルゴリズム(エッジランクという名前ついてて、自分に親しい友達がいいね!したエッジはランクが高い、みたいなページランクっぽい再帰っぽさあっておもしろい)で選んでくれるの便利だとおもう
けど、それは便利ではないという意見もある
自分で情報をちゃんと取捨選択したいという意識だろう

いまのネットの情報強者としての正しいあり方
そういえば、むかしはグーグルの検索結果も10ページ目くらいまでひたすら見てた
いちじき、オートページャライズめっちゃ流行って、みんなひたすら検索結果が長く長く続いて、最後まで見るのが情報強者みたいなところあった
でも、いまきっと2ページまでくらいまでしか見ないひと増えたのでは?

フェイスブックのエッジランク、まだ10ページ目まで見たいひとが多いのに2ページまでしか出さなくて不満言われてるイメージ

そもそも情報に対するサイト設計の思想が違うんだとおもう
既存のネットは、リンクをたどって移動していって、よい情報を自力で探し出すというやり方
フェイスブックがやってるのは、ひたすら大量に流れこんでくるフィードをいかに効率よくさばいていくかというかんじ

自分が動いていくのか、自分のところに流れ込んでくるのか

まるっきり正反対に違う考え方で、このサイトはつくられてる
だから、既存のインターネットにすごい慣れてて、そのリテラシーのままで使おうとするとすごい使いにくさある
「ネットに強い」ひとほどフェイスブックが使いづらいの法則でした

これは2014年4月3日に、ふと気になったことをまさにFacebookでざざっと書いたものだ。

コメントもけっこうついたのでブログにまとめたかったんだけど、そのまま忘れてしまいそうなのなので雑な書き込みのままだけどそのままコピペしてみた。

このあとコメントがいくつか付いているのだけど、自分のコメントだけコピペする。そのため流れが切れてたりするけれどご了承ください。

もうひとつ別の考え方として、同じように情報の奔流であるTwitterをみんなうまくつかえてるから、奔流処理能力が高いと、Fbみたいに間引いてくれるとまったく物足りないのかもしれない、もっともっと流れが早いほうが嬉しいみたいなかんじ。ちょっとマゾっぽい

ぼくは、Twitterは情報に溺れそうになるので、もうめっきり見なくなった。あのツールを使えてるひと、すごいとおもう

ここやっぱ究極にフローなんじゃないかな。覆水は盆に帰らない。流れる水は元の水にあらず。過ぎたことを振り返るな、みたいな

「目的を絞ってフォローする」とか「検索条件を自分で記述する」みたいなのはやっぱ既存の情報リテラシーの高さで、フェイスブックの行き方は行動履歴をベースに自動で出してくるってことになるとおもう

どっちが良いとか新しいとかいうはなしじゃなくて、TwitterやGoogleで自力で情報を探しだすとすげえ良い、という世界観と、自分の行動履歴からエッジランクされることで情報を自動で取捨してく世界観、両方があるみたいになってくのではとおもう

パラメーターということでいうと、Facebookが行動履歴からエッジランクを計算するパラメーターは、親密度、行動の種類、時間の3種類が公開されてるけど、友達との親密度ほど自己申告があてにならないものはないし、けっきょくデータから分析するのが実態に則したものにはなりそう。

Facebookのエッジランクに関するブログ記事が出るたびに気になる数式のこと - in between days

エッジランクのアルゴリズムも日々変わっているだろうから、Facebookの利用者がなにか指示できることは、けっきょく(いいね!とかコメントとか非表示とかの行動として)データの形で与えるしかない

とくに、非表示にするというメッセージが重要で、フェイスブックは下僕なので、必死に計算してフィードを出してくる。それをユーザーは王様のように「見たくない。非表示」って簡単にできる。見たいものを指示するより、見せられたものを「要らない」って言うことで下僕に学習させて、快適なフィードを作るという仕組み。これに違和感があるなら、フェイスブックは絶対に馴染まない。これは今後おそらく変更されないポイントだとおもうので、そういうものと了解するしかない

自分が見たいものは自分でパラメーターを指定してちゃんと決めたい、これは従来の情報強者的な正しいあり方であってなにも間違いではないけど、フェイスブックにふさわしいのは「行動履歴を全部やるから勝手に計算してよさ気なのを持ってこい」というやり方。でもって、もちろん「行動履歴をやる」なんて信じられない! という感覚もまた従来の情報強者の態度としてすごく正しい。

Facebookはセレンディピティない、って批判よくあって、それに対してFacebook側も「分析したらセレンディピティあるぞ!」みたいなプレリ出してたきがする

「××さんが●●にいいね!といっています」ってアクティビティで新しいブログやFbページを知って、それを購読したら便利だった、みたいなことならけっこうあるきがする<セレンディピティ

【追記】たぶん Rethinking Information Diversity in Networks | Facebook これ

あと何か追加するとしたら、Facebookというのは機械学習のインターフェースだということもできる。Facebookのシステムがエッジランクを計算してより出してきたコンテンツを、ぼくらは「いいね!」したり、スルーしたり、ときには「非表示」にする。それをFacebookは学習して、次にもっとちゃんとしたものを出そうとする。ただひたすらそのひとつのことをやってる仕組みだとも極端にはいえる。

自分が読むコンテンツを自分が選ぶのではなく、機械が勝手に選んできて「あなたはこれが読みたいでしょう?」って見せてくる、という世界観は、もう容易に星新一のショートショート的なディストピアになりがちで、まあそれで見たくないものを見せられて「リア充ツール」とか言われるわけだけど、非表示とか試してみてみるとけっこう効いてくるので、見たくないものは非表示にしていくのがよいです。

で、もっとすごいなーとおもってるのは、世界中の何億人かに対して、それぞれにパーソナライズした機械学習のキュレーションシステムを構築したりするのすごい面倒だろうし、リソースも消費するだろうし、ふつうはそれが星新一のショートショート的なディストピアに陥るだろうって心配して、じゃあ止めるかってなりそうなところを、かまわずそっちに舵を切って、その方向でそれなりに機能してるものを提供してるっていう、これをなんといえばいいのかわからないけど、エンジニアリング的な方針の決定力というのか。

あとインターフェースや機能をまったく固定しないで、継続的デプロイをやりすぎて、グロースハックもやりすぎて、ついに人によってまったく違うインターフェースが出てるって状態を常態化してしまってるのも先を行き過ぎててすごすぎる。サービスのインターフェイスを新しくするとユーザーは不満に思うけど、変え続ければもう諦めてなにも言わなくなるということなのかわからないけど、ふつうのひとにはできない。でも、エンジニアリング的には、これは究極のグロースハックであって究極の継続的デプロイであって、正しいのだとも言える。エンジニアリング的に正しいと自分たちが考えることを、ほかの要素(ユーザーが離反するのでは?)みたいなことより優先して(グロースハックしてるんだから離反した分だけ増やせばいいのかもしれない)徹底してやり続けるしつこさというか、あきれた意志の強さと、圧倒的なまでのエンジニアリングへの信頼があるようにおもう。で、それを何十人かのベータテスター相手ではなくて、何億人を相手にやってる。頭おかしいとおもう。

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  • 作者:森嶋良子
  • 発売日: 2013/06/22
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)