in between days

表参道で働くシニアのブログ

J-POPのガラパゴス的進化とヒャダインチェンジ

むかしのフェイスブックにこういうことを書いた。

どうしても馴染めないのが、ももクロ(というかヒャダイン)以降の展開が唐突でまるで複数の曲をコラージュしたかのような構成の楽曲なんだけど、それについて誰か何か書いてないだろうか? てぐぐったら記事あった! さやわかさんだった。さすが。

ももクロ躍進の立役者・前山田健一は、なぜ奇想天外な曲を作るのか? - Real Sound|リアルサウンド
http://realsound.jp/2013/07/post-24.html 

一般的な洋楽ポップスよりJ-POPは展開が豊富でAメロとサビでまるで別の曲みたいなことはよくあるけど、近年の女性アイドル楽曲では(きっとオタがコールやらで十分に楽しめるように)ジェットコースターのように展開させてて、音楽の作り方として世界的に見ても極めて特異なガラパゴス的進化をしてるように見えるんだけど、残念ながら僕自身にはほとんど知見がなくてただの印象論でしかないんだけど、そういったぼくの疑問にだれか答えてくれないでしょうか(考察記事があればもっと嬉しい)

コメント欄で、アニソンや電波ソングからの影響ということを教えてもらった。とはいえ、その後のJ-POP論の流れではそれだけではなく

亀田音楽専門学校シーズン3を見た感想。それからJ-POPとは何か? という話 - in between days
http://mohritaroh.hateblo.jp/entry/2016/02/15/033213 

J-POPのメインストリームはそれはそれでそういった多展開になる傾向があったとのこと。

ヒャダインにしかできない無理のない過多展開を「ヒャダインチェンジ」と呼びたい

さやわかさんの記事、2013年7月だけど、自分はその少しあとにこういう記事を書いていた。

ボカロ曲のリズム感について書いてるブログがおもしろくて、日本のポピュラーミュージックにはリズム感があったりなかったりするのかもしれないと漠然と考えた - in between days
http://mohritaroh.hateblo.jp/entry/2013/09/24/053921

なぜ日本人は2000年代以降、同じリズムパターンが永遠と反復されることで生み出されるゆるやかなグルーブを捨ててしまったのか?(黒っぽさを学ぶことを止めてしまったのか?) ということが2010年代のぼくの一貫した問題意識というかんじ。