in between days

表参道で働くシニアのブログ

街じゅうのガキどもが「ロック」を知った80年代 ─ 日本のロックのロールモデルになった10組

昨年末(2017年)、NHK BSのカバーズという番組に、1966年生まれのロックミュージシャン多数で結成された「ルーツ66」というユニットが登場して、RCサクセションの「トランジスタラジオ」をやった。

NHK「The Covers」にオーケン、増子兄ィ、スガ、トータスらROOTS66が登場 - 音楽ナタリー

たしか大槻ケンヂだったとおもうけど、この曲の閉塞感だったか孤独感だったか、とにかく10代特有の寂しさみたいなものがすごいというような話をしていて、やっぱこの曲にはそういう感情を抱くのだなーとおもった。

「トランジスタラジオ」は「雨上がりの夜空に」と並ぶRCサクセションの二大ロックアンセムで、リリースはともに1980年。それこそ'66年生まれを筆頭に、いまのアラフィフ世代が多感な十代のころに多大なる影響を与えた楽曲だけど、よくよく聞いてみれば「授業をサボって一人でラジオを聞いていた」というだけの曲であって、何かロック的な事件があるわけではない。

そんな漠然とした孤独感を大音量のロックサウンドに乗せる。それこそが実は発明だった。高度経済成長が終わり、まだバブルも始まっていない1980年代初頭、日本中の男子中高生が共感できる何かがこの曲にあった。しかも、乙に澄ましたニューミュージックではなく、ロックンロールとして。

RCサクセションと忌野清志郎は、こうしてひとつのロールモデルになった。「そうか! ロック音楽というのは、こういう格好をして、こういう内容の歌詞を、こういう歌い方で、こういう弾き方で、演奏すればいいのか!」ということを、全国の少年少女が雑誌やテレビで清志郎を見て、学んだ。

日本人にとって、ロック音楽は輸入音楽であって、かっこいい外国人のマネをするところから始まった音楽だ。もちろん先進的な日本のバンドや音楽家は60年代にも70年代にもたくさんいたけれど、RCや清志郎には「ひょっとしたらこの人が歌っているようなことは自分にも歌えるのではないか?」という気にさせられる親しみやすさと、ポップさと、わかりみがあった。

こうして日本で生まれた少年でも欧米のマネをしないでも見よう見まねのロックンロールを演奏できるようになり、全国津々浦々のフォロワーによってロック音楽が一気に普及した。80年代というのは、そういう「日本のロックのロールモデル」が、次々と現れた時代だったんじゃないだろうか。

欧米でどんどん革新される新しいロック音楽と、本来ならその一番の受け手になるはずなのにまだ「ザ・ベストテン」が気になる日本の普通の十代の溝を埋めること。それは一種の「タイムマシン」ビジネスと言えるものかもしれないけど、そんな「ロックってこういうものだよね!」感の醸成に大きく寄与した10組について、80年代を振り返りながら考えてみた。

わかってもらえない音楽 - RCサクセション (1970-1990)

さっきも書いた「トランジスタラジオ」「雨上がり」の二大ロックアンセムが、RCといえばすぐに思い出される。けど、RCが教えてくれたことはそれだけじゃない。ロックバンドは「ドカドカうるさい」ということ、「街じゅうのガキども」がそれを楽しみにしていること。ボスはシケてるということ。愛し合っていること。甲州街道はもう秋だということ。

よく「ロックは不良の音楽」と言われるけど、やや語弊もあるようにおもう。自ら選んで「不良」になったロックバンドももちろんいるだろうけど、社会的な常識から知らず知らずに押し出され、どちらかというと「落ちこぼれ」てしまった人もいる。RCは、後者の音楽ではないだろうか。

落ちこぼれが大音量でかっこいいロック音楽を鳴らしてもいいし、シャウトしてもいいし、大人はわかってくれない(だけど、君が僕を知っている)と大声で歌ってよい。それをおそらく日本で初めて、みんなにわかるように示したのが、RCサクセションというバンドだったのではないだろうか。


未来の音楽 - イエロー・マジック・オーケストラ (1978-1983, 1993)

YMOについて今さら何か書くというのはめちゃくちゃハードルが高いわけだけど、ほんとに田舎モノだった十代の自分目線に立ち返っていいのなら、何かわからん「ト・キ・オ」ってロボ声のファーストインパクトは、めちゃくちゃに大きかったし、完全に「未来だ!」とおもった。

完全に未来だったし、完全にかっこよかったし、坂本龍一のサウンドストリートはもちろん聞いたし、糸井重里がNHKでやってた「YOU」はもちろん見てたし、オープニングのイラストで大友克洋を知ったし、クラスで回し読みしてた「童夢」を見つかって没収されて、焼却炉で見つけた友人が回収してきたのはひょっとしたらYMO散開後だったかもしれないけれど、すべてが新しくて、憧れでしかなかった。

YMOを聞き、もちろんスネークマンショーも聞きながら、オラ東京さ行くだと誓った田舎者が、きっと自分のほかにも日本中にいたはずだとおもう。


ストリートのキッズたちのミュージック - 佐野元春 (1980-)

「つまらない大人にはなりたくない」と佐野元春は歌った。「本当のことを知りたいだけ」とシャウトした。清志郎が歌った漠然とした不安感を、佐野元春はもっと明確な言葉でアジテーションした。この「ガラスのジェネレーション」は、佐野元春の初期の代表曲である。

http://www.moto.co.jp/works/songs/HeartBeat.html#CrystalGeneration

頻出するカタカナ語、急に挿入される英語のフレーズ。「プリティ・フラミンゴ」や「ミッドナイト・カンガルー」といった気取った造語、そしてティーンエイジャーの心情に寄り添ったメッセージ。今では常套句のようにすらなっている日本語ロックのこういった手法は、この時点でもう完成されている。

確かにサウンドはブルース・スプリングスティーンで、メッセージは「年を取る前に死んじまいたい」と歌ったザ・フーの焼き直しととられる面もあるのかもしれないけれど、日本各地の十代はこの曲のおかげで、自分が「街じゅうのガキども」であるだけでなく、ストリートのキッズだということを理解した。

日本のロック世代のアンセムといえる初めての曲かもしれない。


スウィート・セブンティーン・ブルース - 尾崎豊 (1983-1992)

トランジスタラジオを歌った清志郎はもう30歳に近く、ガラスのジェネレーションの佐野元春は24歳だった。それに対して「十七歳の地図」でデビューした尾崎豊は18歳になったばかりだった。ということは、曲を作ったときにはリアルに17歳だったことになる。

「十七のしゃがれたブルース」と歌い出されるこの曲は、リアルに17歳である歌い手自身が、まず歌の主人公に重ね合わせられる。そして「〜を聞きながら」と歌詞が続くことで、このブルースを実際に聞いているリスナー自身が、歌の主人公と同じだということを示唆する。ここに、歌い手=歌の主人公=リスナーという幸福な幻想がある。

あらためて聞くと、最初の3枚のアルバム、つまり事件を起こして活動がギクシャクしてしまうまで、尾崎のサウンドはとても明るく、無邪気で、歌詞のストーリーもどこか作り事めいているというか、リアルさよりも憧れで書かれているような甘美さがある。

だからこそ、悩みすらきらめく十代の永遠のアンセムとなりえたのかもしれない。


すべての夢を見ているヤツらの音楽 - BOØWY (1982-1988)

それまで「コンサート」や「リサイタル」、せいぜい「ライブ」と呼んでいた現場のことを、ほんとにカッコイイ人は「ギグ」と呼ぶのだということを、多くの男の子がBOØWYのライブアルバムで知った。武道館がライブハウスだということも。

社会から落ちこぼれる方ではなく、かっこよく自らはみ出していく「不良」の音楽として、BOØWYはおそらくキャロル以来10年ぶりに登場する日本のロールモデルとなったのではないか。キャロルといえば、革ジャンにリーゼントという「50'sリバイバル」の当時の最新のスタイルで人気だったけれど、80年代には「ツッパリ」のバリエーションとして消費されてしまっていた。

BOØWYは、そこにニューウェーブ的な意匠を取り入れて、再び「かっこいい」としか言いようのないロックンロールのスタイルを確立させて、キャロルと同じようにビッグになるや否や解散していった。それがまたカッコよかった。


あたしはロック - レベッカ (1984-1990)

「SUPER GIRL」はすごいとおもった。

前段として「ガールズブラボー」がある。これは「女の子だって楽しみたい」という、シンディ・ローパーが「ガールズ・ジャスト・ワナ・ハヴ・ファン」で歌ったような、80年代らしいハッチャケた女性のアンセムだ。

その4年後の「SUPER GIRL」では、電話料金の通知を握りしめていても、ママになっても、バイトで暮らしていても、どんなハッチャケられないシチュエショーンいても、みんなが「スーパーガール」と宣言される。それまで女性シンガーが書いた歌詞でも、とびっきりに強いメッセージではないだろうか。

今でこそ岡崎京子の漫画といえば小沢健二ということになっているけれど、リアルタイムで「ROCK」あたりを読んでいたときには、これはレベッカだよなーっておもってた。


ドブネズミのようなパンクロック - ザ・ブルーハーツ (1987-1995)

「リンダ・リンダ」の歌詞の意味って、よくわからなくないですか? 「リンダ」って誰? そもそも人名? なぜ二回繰り返すの? よくわからないのだけど、甲本ヒロトが歌うとなぜか納得させられる。ものすごい肯定感がある。

「ドブネズミみたいに美しくなりたい」という歌い出しも、いったい何がどう美しいのだろうか?

それがわからなくても、ブルーハーツが演奏する姿を見たなら、もう完全に理解できる。いま「ドブネズミみたいに」と歌っているコイツがまさに「ドブネズミみたいに美しい」としか言いようがないじゃないか。

男の子は「これだ!」と思う。「こいつら(=ドブネズミ)みたいに(美しく)なりたい!」。そんな錯覚やら勘違いやらを全国いたるところで引き起こして、日本中が狂乱のバンドブームに突入する。

ただ、今になってわかることは、この童謡みたいなシンプルなロックンロールは決して汎用的な手法でも発明でもなく、甲本ヒロトと真島昌利という二人でなければ成立させられないワン・アンド・オンリーなやり方であり、彼らはまだそれをやっているのです。


日本人にしかできない様式美の物語 - X JAPAN (1985-1996, 2007-)

立川談志がビートたけしを「内容が形式を超えている」と評したそうだけど、僕が思うに日本のロックで最も「形式」を超えているのは、Xであり、YOSHIKIだ。

X JAPANのサウンドはヘビーメタルである。しかし、Xは決してマッチョなヘビメタの様式には収まっていない。80年代にはきらびやかなグラムメタルも流行ったけれど、Xはもっと中性的というか、耽美ともいえるメイクや衣装、破滅を美学として捉える世界観は、ゴシックロックやポジティブパンクのほうが近く、彼ら自身がハイブリッドした新しい様式美のように見える。

イギリス「族」物語」という本にもあるように、ロック音楽は本来とてもファッションやスタイルの成約が厳しい様式のカルチャーなのだけど、Xは「耽美」と「ヘビメタ」という離れた様式を、まるで傾奇者のように、南蛮渡来だろうが唐物だろうが格好よければ何でも身につけてきた。

そんな無茶な様式のハイブリッドは、ロックのルーツから生来は自由な日本人だからできたことかも……と思うのだ。

X JAPANはもうひとつ、音楽を「物語」が超えていくことの凄みも見せつけて、その後の日本の音楽エンタテインメントで広く使われる手法になるのだけれど、この余白はそれを書くには狭すぎる。


夏休み絶対に終わらせないマン - フリッパーズ・ギター (1989-1991)

フリッパーズ・ギターについては「渋谷系の音楽っていうとどのバンドを思い出す?」という記事でけっこう書いたので、ここでは簡単に済ませようとおもう。

「ドルフィン・ソング」の「本当のことが知りたいだけなのに、夏休みももう終わり」という歌詞のなかに佐野元春「ガラスのジェネレーション」のフレーズが含まれているのは、偶然なのか、意図したものか。10年越しのアンサーソングなのだろうか?

それはともかく、パーフリちゃんのシャレオツさは、ミュージックビデオやジャケットその他も含めて、模倣者を数限りなく生んだ。あなたの周りに、ボーダーの長袖Tシャツしか着ない40代男性がいたりしませんか? それは妖怪・四分野鶏の仕業です。


みんなの音楽 - サザン・オールスターズ (1977-1985, 1988-)

このリストは基本的に年代順なんだけど、サザンはあえて最後にした。というのは、原由子の産休を終えて帰ってきたサザン・オールスターズは、それまでのロックバンドにはなかった新しいあり方を示したように思うのだ。

サザンには当初から、ヒット曲で紅白にまで出場するテレビでの売れっ子ぶりと、ラテン・ロックからバラッドまで幅広い通好みな音楽性の高さという両面性があり、'80年代前半はその振り幅が大きすぎて、歌謡曲枠に入れていいのか、ロックバンドなのか、はたまたニューミュージックなのか、というところがあったようにおもう。

活動再開シングルの「みんなのうた」は、それを理想的なポイントで統合していて、まさにタイトルが示すような「みんな」の歌になっている。ここにおいてサザンは、いや日本のロックはティーンエイジャーだけのものではなく、日本人みんなの音楽になった。日本初の「国民的ロックバンド」の誕生だ。

そして、後続のロックバンドたちは、どのように自らの活動を継続させ、サバイブし、マスマーケットにアピールしながらも、自分たちの音楽としての質を保つかということを、この偉大なる先達から学ぶことができるようになった。


そして、90年代へ

サザンの復活と前後して、佐野元春は「ぼくは大人になった」と宣言し(1991年のアルバム「Time Out!」の1曲目)、RCサクセションが「大人だろ、勇気を出せよ」というメッセージを残して解散し(1990年のアルバム「Baby a Go Go」収録の「空がまた暗くなる」)、小山田圭吾と小沢健二の夏休みも終わり、尾崎豊は大人になりきれないまま伝説になってしまった。

90年代。バブルが膨らみ、じきに弾ける。大人になったロックンロールはしかし、それで終わったわけではなく、大袈裟に言うのなら三十代なりのロックアンセムが生まれてくる。それはまた別の物語。