平成最後の年である2019年の正月にNHKで「平成ネット史(仮)」という番組があって、しばらくして再放送してたのを録画しててようやく見た。
ネットの出来事について語るのはけっこう難しく、観測範囲によって見えているメインのストーリーがぜんぜん違ったりするものだけど、この番組はキーワードの選び方がうまいのか、最大公約数の「みんなが知ってる楽しく懐かしいインターネッツ」を構成できていたようにおもう。
基本的にはWindows 95を紀元とする歴史観なので、有史以前は「イギリスのティム・バーナーズ=リーがWWWを開発した」ってくだりでホリエモンが「CERNはスイスでしょ」ってツッコミ入れてたのが見どころというくらいで、たとえばブログ以前のウェブ日記カルチャーについてもスルーされていたけれど、ギコ猫が教壇に立ってて番組名が(仮)なんだからそういうものだろう。あとホリエモンでいえば、2ちゃんねるのくだりがいい話で終わりそうになったときにボヤキを入れてたのも期待された役割というかんじでよかった。
前後に分かれる平成のネット史
番組は1時間ずつ前後編に分かれていて、前編で取り上げられたのはいかにも「ここは酷いインターネッツですね」感がある内容。やる夫でなくギコ猫だったのもわかるようなきがする。
- Windows 95発売(TCP/IPスタックが家庭に)
- テレホーダイ
- テキストサイト(侍魂)
- 2ちゃんねる
- ニコニコ動画(やってみたカルチャー)
でもって後編では一気に現代っぽい話題にシフトしてる。
- 絵文字(ケータイ)
- iPhone(スマートフォン)
- SNS(Twitter)
- 東日本大震災とネット
- 炎上・フェイクニュース
- インターネットミーム
中の人のインタービューによると、まさにスマートフォンの登場を基準に前後編の内容を分けたとのことだった。
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個人サイトの時代からプラットフォームの時代へ
平成ネット史(仮)の前後編の構成は、ネットの次のような転換点をうまく表しているようにおもう。
- 個人の小さなインターネットから、巨大なプラットフォーマーへ
- バーチャルなフロンティアから、リアルワールドへ
個人利用が可能になったばかりの初期のインターネットはとても不便で、回線が細かったり、HTMLを自分で手打ちしないといけなかったり、あちこちのサイトを自分で探して回ったりしなければならず、かっこよく「ネットサーフィン」などと言われていたのは、それだけ乗りこなすのが難しかったことの裏返しだったのかもしれない。
とはいえ、だからこそ個人にも無限の可能性が開かれていて、企業や有名人のホームページより大学生がヒマにあかせて立ち上げたテキストサイトのほうが魅力的で話題にもなったし、PVを稼ぐこともできた。だけどそれを商売にしようなんて考えるひとも少なく、自分の日常にはない別の姿をネット空間で実現し、ふだんは言えない愚痴を書き込んでもまだ「便所の落書き」として存在できた牧歌的な時代だった。
無限の仮想空間から等身大のリアルワールドへ
番組の後編から現在にかけて約10年くらいのネットは、バズワードを組み合わせるならモバイルインターネットとソーシャルメディアによるリアルタイムウェブの到来ということができるだろう。
モバイルとソーシャルはわかる。リアルタイムウェブとはなにか。利用者がどこかで何かをしているということを、ネットを使って瞬時に全世界に共有でき、場合によっては参加できるという世界観であるが、もうひとつ現実世界で起きた事件や出来事に関連しているという意味でも「リアル」なウェブだという見方もできる。
2010年代の前半、フェイスブックが本格的に日本に進出しようとしていたときに「実名・匿名」の論争が起きたことを覚えている方もいるかもしれない。今のネット状況からするとなぜそんな議論がと不思議な気持ちにもなるが、おそらくそれまで仮想世界として切り離されたフロンティアあるいは約束の地または特区のような何かとして存在していたインターネットに、薄汚れた現実社会を持ち込もうとする勢力への抵抗運動だったのではないだろうか。
しかし、ネットの現実化は不可逆的に進行し、ヒマな大学生の何げないツイートが映画スターや有力政治家よりもRTをかせぐことはあるにせよ、トータルとしてみれば現実社会での知名度があるほうがネットでも発言力があるというごく普通のところに落ち着いているように思える。現実のコミュニケーションをうまく回すためのツールとしてインターネットが存在する。当たり前すぎるほど当たり前のことだ。
「ネット史」の終わりに
番組では、これからの「ネット史」はどうなるのでしょうか? という未来的なまとめをしていたけど、実際のところ「ネット史」は平成とともに終わるだろう。
2000年代前後のネットは現実とは切り離された特別な何かだった。だからこそそこで起きたことが現実世界とは異なる独立した「史」として成立しえた。そんな幸せな時代はもう終わった。現在のネットは、あまたあるメディアのひとつとして現実世界をサポートする存在だ。
たとえば「平成テレビ史」というものを考えたとして、それは「昭和テレビ史」ほどエキサイティングなものになるだろうか? ラジオ史はどうだろう? 雑誌、新聞、電話、映画、本、さまざまなメディアがあり、何にせよ海のものとも山のものともつかないところから立ち上がるときがいちばんおもしろく、そのメディア特有の爆発的な進化の歴史がある。まさに「平成のネット」はそれだった。
プラットフォーマーにはなれなくて
今のインターネットは良くも悪くもGAFAという巨大プラットフォームが存在し、その活動を例えば欧州のGDPRなどに顕著なように市民が監視しつつ、便利に活用していく時代になっている。自動車産業におけるフォードのようなものだろうか。ネットはそういった企業活動の一環であり、そのプレイヤーが次々と誕生したり退場したりしていくことになるのだろう。
ところで、ネットを「プラットフォーム」として支配した最初の企業はどこだろう? パソコン通信のように他の企業が参入できない世界ではなく、一見すると開かれた世界でその大本を牛耳っているという意味では、i-modeがその嚆矢とみなせるだろう。
NTTドコモ自身はi-mode上にコンテンツを提供するのではなく、コンテンツを提供して設けたい企業に公式サイトのお墨付きを与え、デバイスの仕様をしっかり握って誰にも渡さないことでその世界を支配した。Appleも、Gogoleも、それと同じことをアプリとデバイスで行っており、それを認めるようなインタビューもある。
新版アンドロイドの"お手本"はiモード 米グーグルの開発幹部2人に聞く :日本経済新聞
しかし、これをビジネスモデルとして体系化して世界的に成功させたのはNTTでもドコモでもなく、米国のプラットフォーマーだった。
そういえば、番組でもキーワードのひとつとして取り上げられた絵文字(Emoji)の世界的に普及にも、プラットフォーマーが関係している。絵文字を世界的な文字コード表に突っ込んだのがGoogleとAppleだったという話があるのだ。
Google、携帯絵文字のユニコード化支援プロジェクト「emoji4unicode」を公開:CodeZine(コードジン)
ガラケーのころはキャリアが違うとメールの絵文字が文字化けしていたし、各事業者がその対応表・変換表をどう持つのかというのはひとつの技術的な大問題だったけれど、今ではどんなアプリでもインストールすればすぐ絵文字が使えるし、便利な世の中になったものだ。それでUnicodeのバグが修正されたという話もあり
絵文字がある種のUnicodeバグを世界から一掃しつつある件について|Rui Ueyama|note
さらに、日本のITエンジニア界隈ではUnicodeにそもそも反対する声も大きかったなあと思いだしたりもする。
▼ Unicodeについて,もしくはUCSについて | 小林龍生の怠惰な日々
なんて話を広げていると、ファッション通販会社で主にツイート炎上に関するコミュニケーションの長をしている方は、まだテキストサイトなんて名前もないほど黎明期のウェブ界隈で当時の人気サイトに喧嘩を売ることで頭角を表した大学生だったわけで、何十年たっても芸風って変わらないんだなというどうでもいい小ネタに終始しそうになったのでこのあたりで筆を置きます。
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*1:サイトはHTTPSだけど、ブクマはHTTPのほうについてて分散してるので注意