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表参道で働くシニアのブログ

続・津野海太郎『編集の明暗』を読んでいる

津野海太郎『編集の明暗』を読んでいる。現在進行形であり読了したわけではないが、書いておきたいことがもうひとつあったので書いておきたい。

本書に収録された一編の中に、1994年のインターネット前夜に書かれた『本はどのように消えていくのか』に収録された次のようなテキストがある。

私も、もっとわくわくするようなしかたでコンピューターとつきあいたいと考えてきたのだが、これが結構むずかしい。二つの難点がある。 電話やテレビとちがって、コンピューターはまだまだバカな機械であるというのが一つ。そして、もう一つ、そのバカな道具をつかう私(ふつうの個人)が負けず劣らずのバカであること。

バカということばがまずければ、前者を「未熟な」と、後者を「無知な」といいかえてもいい。無知な個人が未熟な機械をつかうのだから、とうぜん、イライラする。こころの安定がいとも簡単につき崩されてしまう。となれば「コツ」はコンピューターの操作技術や技法のレベルにとどまらず、かぎりなく哲学のほうに近づいてゆかざるをえまい。哲学、あるいは精神衛生術である。コンピューターと気楽につきあいつづけたいと願うならば、私たちはそれぞれのしかたで自分用の精神衛生術を身につけておく必要がある。

という流れで、先に書いた「マチガイ主義」がその精神衛生術にあたるのだという話になるのだが、この文章の「コンピューター」というテキストをすべて「生成AI」に変えてみたらどうだろう?

私も、もっとわくわくするようなしかたで生成AIとつきあいたいと考えてきたのだが、これが結構むずかしい。二つの難点がある。 電話やテレビとちがって、生成AIはまだまだバカな機械であるというのが一つ。そして、もう一つ、そのバカな道具をつかう私(ふつうの個人)が負けず劣らずのバカであること。……

なんだかそのまま当てはまってしまうなーと感心してしまった。いつまで経っても人はバカな最新技術をバカなりに使いこなしたくて仕方がない。ワクワクしながらもイライラさせられながら生成AIとつきあっていくには、マチガイ主義というものについて考えてみるといいのかもしれない。