in between days

表参道で働くシニアのブログ

ワールドワイドウェブと衝撃的に出会えなかった話

この記事は「インターネット老人会 Advent Calendar 2023 - Adventar」の15日目です。少し考えがあったのですが実現できないまま遅れての公開となりました。その話はまた今度します。

さて、昔話。30年ほど前の1993年前後の話をしようとおもいます。NTTのフェースブックページによると、2023年12月1日は「NTTホームページ」誕生から30年の節目となる日でした。

【日本初のポータルサイトの"NTTホームページ"誕生から20年】(この記事は2013年公開)

ここでは「ポータルサイト」と書かれているものの1993年にそんな概念があったはずもなく、日本の何処かで誰かが新しくWebサイト・ホームページを開設したときに、このページの担当者に連絡すれば載せてくれるという「日本の新着情報/What's New in Japan」というコーナーがあり、スタイルで言うなら「手動更新の時系列リンク集」ということになるでしょうか。まだSNSもWeb検索もなかったころのインターネットでは「リンク集」がとても重要なコンテンツで、このページが多くの人にとってインターネットへの入り口(portal)であったことは間違いありません。

そのリンク集をジャンルごとに分類して分かりやすく「ディレクトリ型」スタイルで見せて一斉を風靡し、世界最初期の成功したネットベンチャーになったのが米Yahoo!であり、やがてリンク集だけでなくメールやら天気予報やらニュースやらといった情報・コンテンツをまとめてまさにネットの入り口として機能するようになり、その後追いでライコスやらエキサイトやらMSNやらが立ち上がってジャンル化することで「ポータルサイト」なるものが確立されたわけです。考えてみれば今でもまさに「ポータル」としての役割を維持しているYahoo! JAPANは実にすごい。話がズレた。

そんな30年前の12月以降、同年3月に立ち上がったというinfotalkメーリングリストあたりを中心にWebやインターネットの将来の姿が語り合われる中、日本のあちこちでWebサーバーが立ち上がり続け、ワールドワイドなウェッブによる情報発信の可能性に気づいた若者が大学の研究室に余って転がっていたPDP-11じゃないやSun3あたりでCERN httpdをコンパイルしたりしなかったりしたのでしょうか。後に『ネットトラヴェラーズ'95』で取り上げられるようなホームページがHTML手打ちで更新され始めていたころ、私が何をやっていたのかというと千葉県市原市の工業地帯でSI屋のプログラマー見習いとして工場に常駐していたのでした。

実は私は学生の頃に運良くIPリーチャブルな環境にいれたわけなんですが、といっても日本の新着情報以前のインターネットですから、IPパケットが届くといってもプロトコルもHTTPではなく、FTPであったりSMTPであったりNNTPであったり。まだたしかUUCP(Unix to Unix Copy)も現役だったんじゃないでしょうか。インターネット上のコミュニケーションといえば、電子メールによるメーリングリスト(ML)やNNTPによるネットニュース(いま言われるものとはまったく別)が主流でした。

そんな学生時代にあったインターネットの衝撃は、WebではなくFTPでした。当時はUNIX上の主要なプログラムをアーカイブしているFTPサイトがいくつもあり、自分が何を探してたのかは忘れましたが、秋保(akiu)として知られる東北大学のFTPサーバーに、実習室のワークステーションから接続したのです。匿名(anonymous)でログインしてcdlsといったコマンドを入力すると、遠く離れた土地にあるコンピューターが所有しているファイルの名前を表示してくれる。それが実に新鮮な驚きで、IPでリアルタイムにつながっているという感動をおぼえたものでした。

そして1993年3月に大学を卒業してプログラマー見習いをしている間に、日本のインターネットにもウェブというものが大登場したわけです。その筆頭がNTTホームページであり、私はその開設当初の雰囲気を体験することなく、翌年夏ごろに買った中古のMS-DOSパソコンからNIFTY-Serveに接続し、インターネットフォーラム(FINET)あたりを巡回しつつ、電子メールがゲートウェイされてたので学生時代と同じMLにもNIFTYのアカウントで入り直したりと、なんだかんだ学生の頃と同じような感覚でインターネットを使い続けていたのです。ウェブの衝撃を知らないまま。

そもそも1990年代前半にはWWWもインターネットを構成するアプリケーションのひとつと思われていた節もあり、今でこそインターネット=WebであってほとんどのコンテンツもコミュニケーションもHTTPの上に実装されていますが、当時はFTPやらArchieやらGopherやらWAISやらといった今ではブラウザもサポートしなくなったプロトコルがたくさんありましたし、何よりメーリングリストが大好きで、MajordomoやらdistributeやらCMLやらといったML管理・配信ツールをいろいろ試したりもしていました。それはまた別の話。

何よりWindows 95の登場まで、パソコンを直接インターネットに接続すること自体がタイヘンでした。MS-DOSにせよWindows 3.1にせよMacintosh(漢字Talk)にせよ当時のパソコン用OSにはいわゆるTCP/IPスタックが入っていなかったため、ドライバやフリーウェアを雑誌の付録なりで入手してインストールしてやる必要があり、転職した出版社で始めて自分で企画した書籍はまさにそういうインターネットスターターキットでした。著者にはMLでの知り合いと、FINETで知り合った方にお願いしました。付録のFDDにはWebブラウザまでを1枚に収めました。

そんなこんなでワールドワイドウェブと衝撃的に出会ったりすることなく、その可能性のインパクトに打ちのめされたりコミュニケーションの未来を感じたりすることもなく、30年を過ごしてきてしまった。日本のWWW最初期の大切な2年間だけ自分はIPパケットの届くところにいなかった。実に根無し草であってそれが自分らしく残念なところだと振り返ることがまれによくあります。

参考: 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史 Encyclopedia of Japanese Internet Culture(Internet Archive)