江戸時代に「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」とうたわれ、東海道屈指の難所として知られた大井川には橋が掛けられず、人夫による徒渡しが行われていたことはよく知られた歴史の1ページです。これは軍事的な理由により、戦略上の拠点である大井川には橋を掛けることが幕府により許されていなかった、と一般に言われています。
けど、それってホントにそういう理由なの? ってことを多方面から検証した本です。多くの資料から地勢・工学・経済・制度などの検討を加えていて、江戸時代の知られざる一面を垣間見れてとても面白かったです。
- 作者: 松村博
- 出版社/メーカー: 創元社
- 発売日: 2001/12
- メディア: 単行本
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- 地勢 - 河の勾配や水量などの要因
- 工学 - 当時の架橋技術の検証(耐久性および費用の面でも)
- 経済 - 産業として成立した「河渡し」職の経済規模
- 制度 - 官民の利害が一致したことによる保守的な体制
架橋できなかった合理的な理由は1と2で説明が尽きていてそれで十分なんですが、本書で大部分のページを割いていて、また読んでて面白いのは3と4の側面です。
本書によると江戸時代前期に島田と金谷の両宿で川越しの人足とそれを束ねる組織と制度が整備され、彼らが独占的に川越し業務を行うことを幕府が認め保護したことにより、それが既得権益化してしまうんですね。幕末の最盛期には1000人もの徒渡し専門の人足が大井川で働き、家族を含めると3000人もの人々が川越しという産業で生計を立てるという一大産業に発展する。
だから架橋が無理であってもせめて渡し舟でもっと効率化を図ってほしいというような請願が出ても、幕府はうやむやに処理してしまうし、川越しの組合は「渡し舟を運行するにしても、上手く運営できるとは限らない」「かえって混乱をまねく」「徒渡し人足が失業する」「権現様の昔から大井川は徒渡しと決まっている」みたいな理由になってるのかよくわからない嘆願書を出して反対運動を起こして潰してしまう。
そうやって幕藩時代250年にわたって徒渡しの伝統を守り抜いたということがこの本で明らかになる。いつの世でもどこの世界でもイノベーションを妨げるのは既得権益だということが実感できます。
そうやって守り抜いた川越し制度の栄枯盛衰もまた興味深くて、まず幕末の鳥羽伏見の後に官軍が江戸に攻め込むにあたって、大井川にも簡単に橋を掛けさせてしまうんですね。軍事的な理由が眉唾ということがイッパツでわかる。そして幕府が倒れると、新政府は簡単にこの川越しの制度を廃止させて架橋政策を打ち出す。そうすると人足1000人はそのままリストラですよ。かわいそうと言っていいのか自業自得なのか、いまの社会情勢をかんがみるとなんとも身につまされる話でもあります。
ということで意外な面で面白かった『大井川に橋がなかった理由』。オススメです。
本題の大井川架橋の可能性を論じた部分でも、河川の勾配などのデータを持ち出して歴史を検証してるのはいいですね。日本史はあまりに政治や制度の変遷にのみ力点が置かれているような気がして、地勢や地理・地学、また工学や経済学という側面から検証されていると新鮮に感じます。以前に紹介した『鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)』も、鉄道敷設に関する民間伝承を工学と地勢の面から批判的に検証していました。
鉄道忌避伝説の謎―汽車が来た町、来なかった町 (歴史文化ライブラリー)
- 作者: 青木栄一
- 出版社/メーカー: 吉川弘文館
- 発売日: 2006/11/01
- メディア: 単行本
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