in between days

表参道で働くシニアのブログ

かつてFacebookに自分が残した書き込みをサルベージするシリーズ。2012年2月8日より。

2012年2月8日 17:25

「伝える」とか「知らせる」ってことを「共有する」って言い換えだしたのっていつごろだろう?
例:問題点を報告します → 問題点を共有させてください

Mohri Katsuhisa いま読んでる原稿で「関係者に共有します」って言い回しが頻繁に出てきてて、「共有」するなら助詞は「関係者と」だよなあって悩みちゅう

Mohri Katsuhisa 最初に聞いたのはIPv6枯渇対応でJPNICオープンポリシーミーティングだったなあ

Mohri Katsuhisa shareする系Webサービスが広まる → 英語圏のIT業界からビジネスな方面に広まる → 日本のビジネスな方面に輸入される の流れを予想

Mohri Katsuhisa Fbみたいなソーシャルなサイトで「share」っていいだしたころから一般社会でも広まったんじゃなくて、逆に「体験を "share" する」って言い方がもともとあって、それがFbとかにそのまま活きてるって流れなのかな?

Mohri Katsuhisa 「シェア/共有」って言葉のイメージについて考えてることがあったんだけど、自分が小さいころからほんの数年前まで、シェアっていうのは「分け合う」っていうことで、つまり自分の取り分は減る。自分が少し我慢して人にも与える、つまり譲り合い的なイメージがあったような気がするんだ

Mohri Katsuhisa だけどSNSの世界における「シェア」は、もともとシェアされるものがデジタルデータっていうこともあるけど、シェアされればされるだけ増える。ポケットを叩けばビスケットは2つ、みたいな。シェアすればコンテンツは2倍。シェアされればされるだけ総量が増えて豊かになるっていうイメージがある

Mohri Katsuhisa このイメージが、自分だけのものなのか他のひともそうなのか。日本だけのものなのか米国でもそうなのか。ITのコア利用者だけのものなのか普遍的なものなのか

Mohri Katsuhisa それからそういうイメージの変化はどういう要因で起きたのか、みたいなことが気になる年ごろなのです

と言っていた私ですが、いまではすっかり共有という言葉を使うことに抵抗がなくなっていることを共有させていただきます。