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表参道で働くシニアのブログ

荏開津さんによるECD追悼文を読んで

ECDは、その生涯を通じて、音楽のために、音楽を愛する人のために、音楽を聴き、音楽を作り、音楽について考え、音楽から考えたが、そのような思想家としてのラッパーという存在がこの世にあるだろうか。

ECDは思想家としてのラッパーだった 荏開津広による追悼文 - Real Sound|リアルサウンド

彼は切々と音楽をいかに愛しているか、音楽がいかに彼にとって大切かをラップした。音楽をもって音楽に言及する、そうした楽曲がほんとうにECDには多い。

…… 念のため、最後になった「君といつまでも(together forever mix)」に出てくる“君”とは、音楽のことである。

「音楽といつまでも」という心持ちで音楽を聞いている。むかしは自分でもそう思っていたころがあったような気がする。

そのころから比べていまでも持っているCDの数も聞いている音楽のジャンルも増えたけれど、音楽といつまでもとは思わなくなってきている。でも、そういうものなのだとおもう。若いころに「若いころのように新しい音楽を聞かなくなった」という若くない人の言葉を読んでそうはなるまいとおもったりしていたが、見事にそうなっている自分に気付く。でも、そういうものなのだろう。情熱の炎に火をつけることよりも燃やし続けることのほうが難しい。一気に燃焼させるのではなく、長くずっと種火のように、ひょっとしたら炭火のように、くすぶり続けている何かを持ち続けたまま人は年を重ねていく、せめて消え入らないように。

音楽を職業にしていたのだから燃やし続けていることは当然なのかもしれないけれど、でも初期衝動のころとおなじように好きでいられるなんていうのはやっぱりすごいことなんじゃないかなとおもったのだ。