in between days

表参道で働くシニアのブログ

新聞投稿の件

http://b.hatena.ne.jp/entry/http%3A//www.news.janjan.jp/media/0802/0802150846/1.php

これって「捏造」って騒がれてるけど、それは煽りだよね。

いちお新聞社の担当と執筆者の間でやりとりがあって最終的にボツになってるんだよね。ってことはその「捏造」原稿は掲載されてないんだし。そもそも捏造っていうのは来てもない投稿を作り上げちゃうことで、来てる投稿に大幅に手を入れるのは「改ざん」って言うんじゃないかな。それも勝手に直すから「改ざん」であって、いちお執筆者に断ってるんだから「編集」とか「添削」というんでいいと思うよ。「編集しすぎw」「編集後のテキストがあまりにアカヒ!ww」っていう笑いどころはあるけど。

元の原稿には足りないものがあるよ

もうひとつ、原稿の趣旨が変わってるからNG的なことを言われてるけど、もとの原稿って、そんな趣旨がどうとかいうレベルのものじゃないでしょ。どっかで聞いたような主張を手堅くかっちりまとめました。って感じで、一見きれいにまとまってるけど内容には独自性とか筆者なりの主張というものが感じられない。麻雀で言うならいわゆる「ケーテン(形式だけのテンパイ)」ってやつに近い。

そもそも具体性に欠けているというのは致命的にダメでしょう。まず具体例を1つか2つ挙げよというのは、学校の小論文の授業でも必ず言われるアドバイスだと思うし、このオリジナルの原稿をどっかの会社の入社試験とか、大学入試の小論文で出しても落ちるんじゃないかな? オレだったらもっと文章全体に破綻があったとしても、自分なりの考えを書こうと苦心惨憺してる文章を買いたい。

朝日編集部でなんでこの原稿を載せようとしたのかという判断がどこで行われたのか知らないけど、とにかく現場に降りてきて、現場の編集者が原稿に具体性を持たせようとしたのは正しい。そもそも新聞なんだから時事性とか具体性(5W1H!)が最も重要視されるメディアである。投稿原稿とはいえ、いちおうメディアの性格を考えて文章を書くべきだったんじゃないかと思う。

私がもし担当者だったら、最後の「外科医云々」のくだりはまず外す。外科手術を受けた経験がそんなあるわけでないからよくわかんないけど、内科に予防注射に行ったって「チクッとしますよ」くらいは言われるし、歯医者でも「痛かったら右手を挙げてください」って言われる。ましてや外科手術になれば「麻酔が切れると痛いです」と言うだろうし、というかそもそもまったく痛くない手術があったとしたら、それは全身麻酔でもってその麻酔が醒めなかったときなんじゃないだろうか。ということで外科手術は最悪命がかかってくるんだから、そりゃ痛みをともなうかどうかレベルじゃなくって、成功の確率とか術後の安全性とかそういうリスクをコンコンと語らなければならない。つまり原稿とは逆で、外科医は「手術には痛みがともないます」と患者にハッキリ告知しなければならないはず。で、実は小泉改革もそれで、それまでの日本の経済政策は、薬の投与とか温泉療養とかでなんとか延命措置をほどこしてたわけなんだけど、もうこれはどうやってもダメだってことで小泉は外科手術に乗り出した。そのときに「痛みをともなう」と宣言するのは当たり前のことであって、むしろそう言わないで手術しちゃってたらそっちのほうが問題。小泉改革の問題点は痛みがあったこと自体ではなく、その痛みの種類であるとか、痛みを軽減させる手法が取られてたかとか、どの患部が切り捨てられたのか、そういう具体的な痛みの内容なんじゃなかったっけ。ってなんか長くなってちょっと話題が逸れた。

朝日は何が足りないかを教えてくれてるとおもうよ

話をもとに戻すと「外科医云々」は比喩としてあまり適切でないのでここは外して、代わりに何か時事的に内容に沿った具体例を探そうとする、そうするとまあ福田がなんとかってことになるだろう。「痛みをともなう」って発言したのは小泉なのは確かなんだから、新聞社的にはそこで発言者の名前を明記させたくなるのは当然。新聞は文章の上手下手よりも、具体的な事実が盛り込まれているかどうかのほうが重要なメディアなんだから、直すってことになればそこを無視して通るわけにはいかない。

かくしてもともと「ケーテン」であった原稿は、なんとかヤクをつけるべってことで1メンツ崩して2メンツ崩して、中を2枚引き込んで、オタ風も鳴いて、いちおうチュンが付くかもしれないバカホンくらいの形になったんだけど、残念ながらイーシャンテンで流局って感じなんじゃないかなあ。

そりゃもとの原稿のほうが文章としてはまとまっているし、書き直し後はあまりにも「アカヒ」的で笑っちゃう。でもそれはそれとして、もとの原稿は決して自信満々にこのままの形でどこにでも発表できますってものじゃない。ちょっと見ただけで上に書いたみたいなことがあるし、一見きれいでよさそうなんだけど、実際に使おうと思ったら大幅な外科手術が必要な原稿だと思う。捏造だと騒ぐより、まずその原稿はそのままの形では新聞投稿に掲載されるレベルに達していなかった、ということなんじゃないだろうか。

その上で、アカヒの「捏造」は、どうすれば新聞投稿に載るのか、ということを教えてくれたとも言える。いちおうプロの編集者が短い時間ではあるがなんとか形にしようと手直ししてるわけだから、そこを添削されていると解釈するのか、捏造されたと解釈するのの心構えひとつで違ってくる問題でもあると思う。アカヒが何を足し込もうとしたのかを考えれば、もとの原稿に足らなかったものは明白じゃないだろうか。なので、今後もし投稿する機会があるのなら、それを補って書くように心がければいいのではないだろうか。

というか編集者に原稿に手を入れられるのはイヤなら、投稿なんかしないでブログを書いたほうがいいよね。ブログなら「捏造」されない。