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表参道で働くシニアのブログ

Twitterにおける「非公式RT(引用付き返信)を使った会話」に対する違和感について

Twitterを使っていると、いつも感じる違和感がある。そのうち馴れちゃうだろうとおもってたけど、ちっとも馴れなくてずっと違和感が残っているのでちょっと困っている。というのは、非公式RT(文中にRTって入ってるアレ)が引用付きの返信として使われることがけっこうあって、しかもそれにまた非公式RTで返事されることもあって、非公式RTに非公式RTが重なった多重RT(多段RT)がやりとりされてて、傍目に見たらどれが元発言で何がリツイートしたいポイントなのかよくわからないんだけど、まあ本人たちはわかってるだろうからどんどん会話が進む、みたいなツイートがけっこう目にはいるんだけど、なんでRT(リツイート)で会話してるんだろう? っていう違和感がずっと無くならないのだ。

RT(リツイート)っていうのは、そもそも会話する仕組みじゃない。リツイートは、情報を拡散させるために考え出された記号だ。Twitterで、会話をするための仕組みは別にちゃんとある。@ユーザ名 をツイートの冒頭に書く方法で、そういうツイートは、Twitterのシステムでも、これは誰々さんから誰々さんのなんとかって発言への返信、っていう処理をちゃんとやってくれる(技術的に言うとin_reply_to_status_idって引数で引用元を指し示し、Webで見るとツイートの下の「XXX宛」をクリックしてもと発言に飛ぶことができる)。でも、非公式RTにはそういう仕組はない。だからよく元発言が参照できなくてわからなくなる。

ちゃんとした会話のためのツールがあるのに、なんでわざわざ会話用ではない方式を使って会話をするのか? それはITリテラシーとかそういう問題ではなく、一般にITリテラシーが高いとされていたり、Twitterのことをよく知っていたり、Twitterについて本や原稿を書いてるようなひとでも、「非公式RTによる会話」をしてることがある。なんでなんだろう? RTはリツイート、@は返信、っていう使い分けはそんなに難しいのだろうか? それともなにか使い分けしたくなくなる理由があるのだろうか?

「どっちでもいいじゃねえか!」と言う人もいるだろう。まあ、確かに実際にどっちでもいいことだ。ただ、これはまったく印象論なんだけど、「どっちでもいいだろ」と言いがちなひとに限って、@をまったく使ってなくってRTばっかりだったりしがちなような気がするんだ。たぶん、本当はどっちでもよくはないんじゃないだろうか。RTじゃないとダメな、なんか無意識的な理由が、ひとを(おもに日本人を?)、@じゃなくてRTに向かわせている要因があるんじゃないだろうか。

目の前にフォークとスプーンがあるのに、フォークでカレーを食ってたら、なんでスプーン使わないの? っておもう。でもきっとフォークを選んだひとはフォークを選びたいなんか理由があったんだろうし、ひょっとしたらぼくが気づいてないだけで、フォークのほうが食べやすいことがあるのかもしれない。まあ何で食おうが本人はカレーを美味そうにほおばってるんだからべつにいいんだけど、ただ違和感だけが残る。

きっと、Twitterで返事を書こうとおもったときに、無意識にRTを使ってた、みたいな、なんかアフォーダンスがそこにはあるんじゃないかという気がしている。

それはいったい何なのか? Twitterだけではなく、ネット上のコミュニケーションのあり方、ひょっとしたらネットだけじゃなくて日常生活を含めて、@会話ではなくRT会話のようなやり方のほうが自然でしっくり来ると思わせるようななにか内的、あるいは外的な要因があるのではないか? そういったことをずっと考えている。

なにをとつぜん言ってるのか?

この記事は、最近togeられた「ツイッターにおけるリプライとRTにまつわる一考察」の前段階、というか、なんでこのひとはわざわざそんなことをいろいろ考えてんだ? という前置きとして書かれました。いちお、なんとなく自分のなかではまとまってきてる(Twilogの6月29日など参照)んだけど、それはまた機会があれば。

最後に蛇足ながら

ぼくは別に、非公式RTで会話をしてるひとを批判したいわけでも、止めろと言いたいわけでももうなくて、それは自分のTwitterなんだから使いたいように、それこそ「どっちでもいいじゃねえか!」的に使ってもらえればいいんじゃないかなとおもってます。

実際、RTと@の違いや役割を理解して、わざわざ意図的に使い分けてるようなひともけっこういて、アルファなツイタッターのなかには、そういうひとがけっこう多いような気がする。自分への批判にわざわざRTで反論するような手法も含めて。ぼくはもうそれはそれでいいんじゃないかとおもってます。

追記(2020年7月12日)

上記で引用していているこのツイートまとめで「ブロックの仕組み」が想定したものと違って最後に「議論の前提が違ってくる」と言っているのは、いまなら「ミュート」の仕組みの方で考えるとしっくりくる。

ただ、もうみんなFF外から失礼してくる時代になってきてるので、2010年の議論はやはり牧歌的だったなあという気もしている。