和牛、めちゃくちゃ上手かったけど、上手すぎるというのもまたやっかいなんだろうなあとおもった。そういう意味でとろサーモンなのだろうか、って書いてて、なんか回転寿司にいってるみたいなツイートだな、これ
— モーリ (@mohri) 2017年12月3日
日曜のM-1、久しぶりに最初から最後までぜんぶ見て、二本目どれもおもしろかったのだけど、下馬評では「和牛」というだけあって、とにかくもう和牛が上手すぎて、上手いうえにネタも練れてるし工夫してるし面白いし、最後に中居さんかわいそう過ぎないかなとはおもわなくはなかったけど、まあジャルジャルみたいな変則が評価されなかった流れならこれはもう和牛なんだろうな、っておもいながら開票の1つめでやっぱなーとおもってたらそこから4連続で「とろサーモン」にはいって、ソファーでふんぞり返って見てたのがどんどん前のめりになって最後はスタンディングオベーションやった。マジか、と。あらびき芸人から初のM-1王者かと。こんなことあるんだなー、勝利のコールをされたときにあれほど「ありえへん」という顔をしてた勝者というのをぼくははじめて見た。人生って不思議だなー、やばいなやばいなーとおもってたら、なんと高校生が歌っていたんですよ(いきなり次の番組がはじまってて驚いた)。
で、和牛が上手すぎるけどこれほど破綻のなく上手いと、これ以上なにをやったらいいのか……みたいなツイートを見かけてそこに乗っかって、途中でマジで芸論を語るのが恥ずかしくなって昨日からさんざんっぱらされてる寿司ネタネタに逃げてしまったというツイートが冒頭のものになるわけですが、ここでそのはなしをしたいわけではなくて、ぼくがちょっと驚いたのは、このツイートが「なにを言うてるのか?」みたいなことを言われるまでもなく、だまって26いいね、5RTされてたということで、それで自分のことは棚に上げて、なんでみんなそんなにガチでお笑いの芸論みたいなことをちゃんと考えているのか、というか、お笑いという笑えればよかろうもんを、面白い/面白くないだけでなく、上手い/上手くない、本格/変則、王道/見たことない!、みたいないくつかの軸を使い分けて語ろうという気持ちがあって、それができてて(論が的を得てるかどうかはさておき)、上手さでいったら和牛だけど、笑いの量ではミキだったかもしれないし、でも大吉先生のいうようにつかみが早くて客を引きつけたのはとろサーモンだったかもしれないし、いっちゃんすごかったのはジャルジャルじゃないすかね、みたいなことは昨日からさんざんっぱらみんなが語っている。ほんとにすごいことみんなが語っている。どのくらい語られているかは、このトピックに如実にあらわれてる。
ふつうにブロガーですらこれだけ語るのだから、いろいろなニュースサイトでお笑い評論家的なひとがいろいろな分析や解説をしてる記事が今朝からめっちゃあがっている。
これってすごいことだな、とおもうのだ。
一億総お笑い評論家かよ! と何様感をあげつらうことももちろんできるけど、でもいろいろなエンターテイメントのジャンルがあるなかで、誰もがその技術から題材からステージングからを語れるジャンルって、そうそうないんじゃないだろうか。ちょっとテレビを見てれば「ノリツッコミ」だとか「天丼」だとか「スベリ芸」だとか、その技法についてちゃんとどういう使い方をされて、どういった効果があるのかを理解したうえでお笑いを楽しんでいる。しかも、これまでにない手法、たとえば「ダブルボケ」とか「ズレ漫才」だとか名前をつけて、それを「えー、そんな聞いたことないやつみなくていいよー、ふつうでいいよふつうでー」とかっていうより、え、まじそれ新しくて見たことないしこれ面白くて最高なんすけどってこぞって食いついていくジャンルってなかなかないとおもうんですよ。
というのは、ぼくは90年代によくわからない客に「何言ってんだお友達じゃねえんだ」って悪態つくようなバンドのファンとかをやってて、こいつらめっちゃ頭おかしくて最高だから絶対応援しようとおもったけど、けっきょくレコード会社をクビになって、ココロをいれかえて客はひょっとしたらトモダチかもしれないというかんじの曲をリリースしたらコロッとヒットしてるのを目の当たりにして、なんかこう日本の音楽シーンって、けっきょくどこかで「どこかで聞いたことあるやつ」じゃないと売れないんだよなって思うところがあった、そういうこともあって「どこでも聞いたことがねえ!」ってことが「じゃあいらない」じゃなくて「ちょっと見せて」ってなるお笑いってジャンルは、J-POPってジャンルよりもずいぶん客が洗練されてるなあとおもったのだ。
といって、そっちの客とこっちの客は別のひとたちじゃなくて、つまりふつうにそこいらにいる日本のひとは、音楽はまあ耳馴染みのいい安心できる定番を求めるし、お笑いには新奇性があってもガンガン対応できる、そういったジャンルによる適応能力の違いってものがあるんじゃないのかな。
90年代はまだ洋楽のほうが先端だったので、海外ではこんな「聞いたこともない」バンドや、これまでにないスタイルの音楽がヒットチャートにも食い込んできてるのに、日本はずーっとこんなんだよなあ、みたいな洋楽へのあこがれみたいなのもあったりしたんだけど、それは欧米のひとたちは音楽に関して新しいスタイルにシュッと対応できるなにかがあったりするんだろうなあ。
漫画とかもそうで、どこから来たのかわかんない巨人がたくさんいて、人を食うんですよ、それを撃退させるっていう……って設定だけ聞いて、いやなんか難しそう……みたいにならないでみんなめっちゃ読んでて大ヒットしてるっていうのが日本漫画のすごいところで、右手にへんな生物が寄生するとか、自宅に毛が三本のおばけが居候するとか、なんかどんだけわけわからん世界をつくりあげるのかってことを競ってるようなところがあり、それでジャンル全体が成り立ってて、客もふつうの顔をして楽しんでるっていうのがすごい。
お笑いや漫画っていうのは、日本にふつうに暮らしているとその生活というか人のあり方、あるいはひょっとしたら歴史や伝統につながるものがあって、これが良いこれが良くない、面白い/面白くない、新しい/新しくない、っていう判断を、ふつうに生きていたらできるようになってるっていうそういう文化的な素養があるジャンルなのではないか。一方で、音楽は、いまの日本のJ-POPというものは文明開化のあとになって輸入されたさまざまな年代の音楽の混合物で(演歌であっても半分くらいそんなところがある)、やっぱりどこかでちゃんとした「型」みたいなものをぼくたちは自分のなかに持ってなくて、洋楽をたくさん聞いて勉強したひとだけがなにかスタイルの判別がつけられる、みたいなところがあるのではないか。
「型があるから型破り、型がなければ形無し」という言葉があるけど、すっごく長いこと息継ぎもなく書いてきて、言いたかったのは、お笑いや漫画については、日本に生まれ育った多くのひとが知らず知らずにその「型」を持っている。だから、ときには「型破り」なものであっても十分に受け入れられる。一方、音楽についてはそういった「型」を持っていない。だから学習しないとわからないし、ふつうに楽しめるのはものすごく無難なものになってしまう、ということをおもったのだった。ピン!
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