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表参道で働くシニアのブログ

ひとはなぜフェイスブックで「いいひと」を演じてしまうのか問題

今日のINTERNET Watchにこんな記事があった

違う自分を演じている〜「Facebook上での友達のふるまいに違和感」34.4%

……ストレスの内容を聞いた設問で多かったのは、「人間関係があからさまでプライバシーがないこと」の34.3%、「シェアされるとどこまで広がるのかわからないので余計なことを発言できない」の33.8%……「ネットと現実でのふるまいが全く違う」「自分を良く見せようとしている」「キャラを作っている」「いい人と思われたがっている」「理想の人を想像して、演技している」など、「実際の自分とは違う自分を演じている」ことに違和感を抱いている人が多かった……

Facebookの入門書を書いてるから*1言うんだけど、ここにあるような「プライバシーがない」とか「どこまで広がるかわからない」というのは誤解で、リストや共有範囲や非表示を利用すれば、あからさまでプライバシー万全な空間を作ることはできる。

できるんだけど、まだまだ理解されてないし、やっぱ敷居は高いのかなーというのがこの記事の感想だ。そもそも「どこまで広がるのかわからない」ってのはTwitterにもRTっていう最強の拡散装置があるわけだし……

Twitterの石ころぼうし感

ただ、そういう機能的なことが知られているかどうかに関係なく、やっぱりFacebookは書きにくい、という声もあって「ひとはなぜプライバシーコントロールできるFacebookより、ほとんど何もできないTwitterのほうが自由で発言しやすいと感じるか?」問題、ひいては表題に書いたような「いいひと」問題をしばらく考えていた。

これは、まあみんな感じていることかもしれないけど、Facebookのほうがひとのつながりが密で「見られてる感」が強いが、Twitterはまるで雑踏にいるかのように気にかけられない(ドラえもんひみつ道具でいう「石ころぼうし」をかむってる)感じがするからだろう。

ただし、ここで注意しないといけないのは、Twitterは「見られてない感」はたしかにあるけれど、まるっきり見られていないわけではないということで、これがいろんな炎上とかのきっかけにもなっている最大の問題なんだろうな。

Twitterはリアルタイム検索もされるし、RSSまで出てるんだから、実際には「見られまくり」のはずだ。見られまくりにもかかわらず「見られてない感」がある。これはプライバシーコントロール上ではいちばんにタチが悪いかもしれない。

Facebookは「いいひと」を演じなくてもいいように設定できるんだけど、面倒でわけがわからない。一方で、Twitterはどうやってもそんな設定はできないんだけど、なんだかんだとっつきやすくてほどよく閉じているように感じる。この2者は実態と見かけがひっくり返ってしまっているようだ。

こういう2つのサービスがあったとき、ひとは実際に安全な空間を作れる機能があるかどうかではなく、感覚として安心できるかどうかで使い方を決めてるのだろう。だとするとFacebookとTwitterの逆転現象はすごく不幸なことだとおもう。

本来の機能的には、Facebookで自由に発言して、Twitterがよそ行き、とならなければおかしい。でもいまはそれが逆になっている。もうちょっとお互いになんとかならないかなあ

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ネットがリアルに侵食される恐怖

もうひとつFacebookには特有の問題がある。それはペルソナの使い分けだ。

ひとは属してる集団によって顔を少しづつ使い分けてる。そういういろんなペルソナが、Facebookではごっちゃになっちゃうので、どんな顔をすればいいのかわからないことになりがちだ。ただし、これはリストで解決できるし、自分が気にかけてるより軽くスルーされたりして、意外と対応できたりもする。

だけど、なかなか対応が難しいのが、自分のペルソナをネットか? 非ネットか?で大きく使い分けてきた場合だろう。

Facebookは、リアルの交友関係をITで便利にするサービスなので、(実際に便利になってるかどうかはここではおいといて)ネットのなかにリアルの人間関係、リアル社会での顔がどんどん持ち込まれてくる。

こんなサービスは実のところこれまでなかった。これまでだったら、リアル社会で充実してるひとはネットをやらない、あるいはネットをやるときはリアルとはぜんぜん違うハンドル名でやる、みたいな不文律があったので、リアルとネットが混じり合うことは(ネットを仕事にでもしてないかぎり)あまりなかった。ひとは安心してネットでリアルとまったく違う顔を使うことができた。

ところが、Facebookはそういう微妙な人間心理もいっさいかまわずリアルの知り合いとネットの知り合いを平気で混ぜちゃう。そうなるとまさにごめんなさい、こんなときどんな顔をすればいいのかわからないの状態のままアカウント凍結、みたいな。

これはもう「余計なことをするな!」って怒りたくなるひともいるだろうけど、ただこれまでいろんなものを便利にしたり拡張してきたIT技術を、リアルの人間関係に適用して悪いっていうリクツはない。今後はリアルの人間関係もリアルなままでどんどんネットに入ってくる。

これはマスコミでよく取り上げられるような「リアルがネットに侵食される」問題のまったく逆で、ネットがリアルに侵食される脅威だ。まさにいまFacebookでこれが起きている。いやーコワイですねー

なんか「いいひと」問題とはぜんぜん違うところに落ちちゃったけど、まあFacebookはいろいろに波紋を投げかけてるよねーということで

*1:機能面ではひとよりいろいろ知ってるから