Twitterを使っていてすごく悩ましいことのひとつが、まったく知らない第三者のむき出しの感情のようなツイートと急に鉢合わせすることがあり、そういうときに「なんか怒ってるひといるなー」みたいにスルーできなくて、自分まで怒られているかのように動揺してしまったり(主語や目的語が大きくて対象に自分が含まれてしまうときとか)、世の無常や社会の矛盾について思いを馳せてしまったりすることってないですか?
ちょっとしたネット有名人が何かコンテキストありきの空リプで思わせぶりなツイートをしてたら、いったい何があったんだろう? とそのひとのページを見にいったり、適当なワードで検索して事情をさぐってみたりしたことないですか? そういうためにアプリを立ち上げたわけでなく、アイドルの卒業コンサートのリアツイで感動を共有したかっただけなのに。
わざわざ気が滅入る話が読みたくてTwitterのようなソーシャルサービスを使うというひとはそんなに多くないだろう。だいたい、役に立つ情報であったり、読んでワクワクする話であったり、学びがあって啓発させられるような前向きな話題を欲しているひとのほうが多いのではないかとおもう。
一方で、Twitterで何かをつぶやくときに、たったいま直面したイヤなことや、困ったこと落ち込むこと悲しみや怒りといったネガティブな感情をつい書きたくなる。嬉しいことを誰かと共有するともっと喜ばしくなるけれど、誰にも言わないで自分だけで抱えていてもヒソヤカに楽しい。ところが負の感情は、ひとりで抱えていると身が千切られそうになる。誰かに聞いてもらいたい。相談したいとまでいかなくとも、とにかく吐き出させてもらわないとツラくてやってられないということがある。
ソーシャルメディアはそういうときに便利だし、Twitterはとくに虚空のようでいて誰か聞いてくれるという微妙な距離感で「いいね」を押してくれたりすると、わかってくれる人もいるということに安心できるところもある。
そうなると、ツイッターのタイムライン全体でネガティブな話題が蔓延することになる。ネガティブにも度合いがあるだろう。直接的にたいへん攻撃的なものから、何らかの呪詛であるかのようにSAN値の低まった状態でつぶやかれたツイートもあれば、当てこすりや揶揄などのように立場によってはただゲンナリしたりするものもある。
SAN値というのは、事物の正気度を示す数字として、神話的なホラー小説シリーズであるクトゥルーをモチーフとしたゲームに由来するパラメーターである。一般に、よりクレイジーなほうがSAN値は低まるとされている (詳細は上のリンクなどを確認してください)。
ソーシャルメディアにおける情報のマッチングは、どういった情報に興味・関心がありますか? というインタレストをベースにして発達している。野球が好きなひとには野球の結果を見せるし、アニメが好きならですか来期の新作が気になるだろう。あるいは保守かリベラルかといった思想信条が近い記事ばかりが推薦される問題といったものが指摘されることもある。
しかし、そういった水平方向の分類だけでは不十分じゃないかなと思うのだ。もっと心理的安全性だとか、感情の方向性とかを評価して、あまりにネガティブな感情が強いツイートは、そういった表現が得意なひとであったり、スルーする余裕がある人にだけ表示してほしい。
ちょっとしたことでメンタルがブレてしまうようなタイミングには、何かしらのサインを読み取って弱気モードに合わせたミュート処理を適切に行ってほしい。TwitterもFacebookもそうだけど、どうせタイムラインを加工して興味ある順に並べ直すのであれば、気分的にもマッチングしてSAN値が減らないようにしてほしいし、そういった研究などないものだろうか。
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