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表参道で働くシニアのブログ

ユーザー自ら生み出したリツイートという行為が、いつのまに数にまかせた化け物になっているのは、やはりさびしい

先月(2020年6月)、ツイッター(Twitter)がリツート(RT)機能でちょっとした改善をはじめたと話題になった。リツイートしようとすると「ほんとに読んだの?」と確認してくるんだそうな。

いまネットにおける情報流通でかなり重要な役割を果たしているリツイートだけど、機能が実装されて10年が経ち、すでに弊害もいろいろ取り沙汰されていて、その対策の一環だという。

問題を提起し、Twitter上の会話を活発にするために記事のRTは効果的だが、それだけに内容を把握してからRTする方がいいとTwitterは説明する。

Twitter、内容を読まずにRTしようとすると「読んだ?」と尋ねるテスト開始 - ITmedia NEWS

「内容を把握してからRTする方がいい」って何を当たり前のことを……と言いたいところだけど、タイトルだけでリアクションすることはまあ実際のところよくある。信奉する著名人のツイートを良かれと拡散したリ、すでに何万人もRTしているつぶやきについ乗っかったりとかね。

そういうムーブが昨今のツイッター界隈の残念さに直結しているのは確かで、バズフィードが去年の夏(2019年8月)に掲載した開発者へのインタビューでは、当初に期待された機能を果たすだけにとどまらず、肥大化した使われ方を懸念する“生みの親”の姿が描かれている。

クリス・ウェザレルは10年前、開発者としてTwitterのリツイートボタンを作った。彼は今、自分の仕事を後悔しているという。

「弾をこめた銃を4歳児に持たせてしまったのかもしれない」。

Twitterのリツイートの生みの親 後悔を語る

ここではリツイート機能の危険性が認識された事例として、2014年のゲーマーゲート論争が挙げられている。いわゆるヘイトスピーチやフェイクニュースとされるようなツイートが攻撃手段として投稿され、大量にRTされていたことが観察されたという。

バズフィードのインタビューを読むと、リツイートがまるで巨神兵のような怪物的な兵器にも見えてくる。そもそもネットにおける情報拡散の革命的な行為として、ユーザーによる自発的な活動から生まれたリツートだけど、いつのまに忌み嫌われる化け物になってしまっていたのか。

ちょっと振り返ってみたくなった。

※ゲーマーゲートについては下記の記事などを参照。

【特集】今も余波続く「ゲーマーゲート騒動」―発端から現在までを見つめ直す | Game*Spark - 国内・海外ゲーム情報サイト

リツイートはどのように生まれて育ったのか?

リツイートについては、10年前にもまとめ的な記事を投稿したことがある。

「リツイート」は「Re: Tweet」じゃない - in between days

まずブログ記事を転載するリブログ(reblog)という文化が2005年ごろからあり、それがツイッターに流入した。そのころソーシャルマーケティング業界でどのように歓迎されていたかが、ジェレミア・オウヤング(Jeremiah Owyang)氏のブログ(2008年11月23日)からうかがええる。

Twitterコミュニティにおける「リツイート」は、あるアイデアを支持することを示すソーシャル“しぐさ”だ。

(Within the Twitter community a “Retweet” is a social gesture indicating endorsement of an idea)

Retweet: The Infectious Power Of Word Of Mouth | Jeremiah Owyang

リツイートは情報をこれまでにない速さで広めることができる。それを実証したのが2009年1月、後に「ハドソン川の奇跡」とされるUSエアウェイズの不時着水で、その様子を撮影した写真が投稿されたTwitpic(写真が掲載できなかった当時のTwitterと連携した外部の画像サービス)が負荷で落ちるほど、リツイートされた。

ハドソン川の旅客機不時着写真でトラフィック急上昇--写真投稿サービスがダウン - CNET Japan

ここで重要なことは、リツイートはあらかじめ運営が用意していた機能ではないということだ。ユーザーが自分たちで始めた情報流通の形式であり、だからこそユーザー自身がどういった形式で再送すればスムーズなのか? 誤解が少ないのか? 利便性が高いのか? といった議論を重ね、さまざまなガイダンスが書かれた。

「この人のこのつぶやき、面白い! もっと広げたい――そんな時には、つぶやきの転載「ReTweet」(RT)で、自分のフォロワーにそのつぶやきを広めよう。

……Twitterの機能ではなく、ユーザーの間で広まった転載のスタイルだ。

「RT」 面白いつぶやきを広める - ITmedia NEWS

個人が発信した情報が、マスメディアよりも速く、必要だと感じた多くの人たちによるバケツリレーで世界中に拡散される。これこそ企業も個人も関係なくすべてのユーザーがフラットに参加できるネットの利点を体現した情報流通の革命ではないか! といった上ずった温度感で当時は盛り上がったものだった。

ずいぶん牧歌的に思えるけれど、11年前のわれわれは初めてを経験中だったのだ。

リツイートが1年かけて公式化

そんなリツイートにも欠点があった。流れてきた情報は本当に信用できるのか? 書き換えられていないか? どこにも証明するものがない。前後のツイートで文脈を確認したくても、元ツイートの追跡にも限界がある。

Twitterの「ReTweet」が面白い - @IT

面白いんだけど、普通のリプライと違って元発言へのリンクが張られなくなってしまう。 これだと、1つのつぶやきで完結している場合はいいんだけど、前後のつぶやきを追いたいという場合にはちょっと不便。

Twitter の RT (ReTweet) 時に元発言へのリンクを知りたい(未解決) - まちゅダイアリー(2009-08-09)

やっぱり手動のリツイートだけではユーザーは不安よな。公式、動きます。

リツイートは、Twitterがわれわれにあるべき姿を教えてくれる偉大なる例示です。... リツイートを、公式にプラットフォームとWebサイトに追加して、ちゃんとしたフォーマットにする計画を立てています。

(Retweeting is a great example of Twitter teaching us what it wants to be. ... That’s why we’re planning to formalize retweeting by officially adding it to our platform and Twitter.com.)

Project Retweet: Phase One

運営がブログでこう宣言したのが2009年8月のこと。リリースされたのはそれから3カ月後。

Retweet Limited Rollout

限定的にはじまり、おそよ2週間かけて全ユーザー(ただし、英語版の利用者)にリリースされた。

日本語インターフェースで利用できるようになったのは、年が明けて2010年1月のことだった。

公式RT、Twitter日本語版にも搭載 - ITmedia NEWS

引用RTとして生き残った非公式RT

しかし、これで問題は解決しなかった。公式RTはただツイートを再送できるだけなのに対し、非公式のリツイートはもっとリッチな使われ方をしていたからだ。例えば、自分のコメントを付けて転送したり、RTで会話をしたり。そのため非公式RTも「引用RT」という形で生き残った。

機能が複雑になり、それぞれの違いが分からない・分かりにくいといった意見をよく見かけます。

Twitterの公式RT、非公式RT、QTの違いを分かりやすく図で描いてみた - 聴く耳を持たない(片方しか)

ツイッターは使い方を束縛されない自由なツールで、ツイートのスタイルも自由であって、好きなようにつぶやけばよい。そういう考え方が当時からあった。リツイートだけではなく、返信やメンション、ハッシュタグといった主な機能のはほとんどをユーザーが主導して作り出してきた経緯もあり、そういったフロンティアな精神がツイッターの良さにつながったことは否めない。

ただし、非公式の引用RTをリプライ代わりに使うというのは、フォロワーが多い著名人のあいだでもよく利用されていただけれど(なぜならふつうにリプライするとTLに流れないことがあるので)、スレッドがつながらないので元ツイートを探すことも難しく、ツイートの真正性も保証できなければ、文脈も追えないという問題は解決されないままだった。

ただ楽しく会話したいだけならよいだろうけど、何らかの意思決定や議論を行いたいのであれば使うべきではないと判断するのが情報リテラシーではないかとおもうのだけれど、当時は情報共有やソーシャルメディアについて語る識者にも非公式RTによる会話が多用されていたのには辟易した。ということをもっとマイルドに書いたことがある。

Twitterにおける「非公式RT(引用付き返信)を使った会話」に対する違和感について - in between days

後に「引用リツイート」機能として公式リリースされて解決するのだけど、それは2015年まで待たなければならなかった。

ところで、バズフィードの記事では「最大の問題は引用リツイート」と書かれているけど、ゲーマーゲートが2014年とするならまだリリースされてなかったはずだけど……?

当初から指摘されていたRTの問題にいま悩まされる

先に引用した記事中にある@ITの記事では、リツイートの問題点がさらに指摘されていた。

悪意を持った人が情報に注目させるためにRTを頻発するという行為が増える可能性も否定できないだろう。

Twitterの「ReTweet」が面白い - ITmedia エンタープライズ

これは今まさに問題になっているフェイクニュースや攻撃的なRTのことである。しかし、この記事はRTの可能性を肯定的にとらえる方向でまとめられている。

Twitterについてユーザー側の認識が広がれば、悪意あるRTが大問題になることは少ないようにも思うし、ローカルルールだけに多くの人が納得できるように次第に使い方が変化するかもしれない。ユーザーによってTwitterの使い方がさまざまなように、RTの使い方、受け止め方も多様化するだろう。

実際、当時のツイッターは可能性に満ちていた。メールなどと違って情報が開かれていて、かつ速いので、もしデマが流れても訂正するツイートもあわせて拡散されるので、ほかのプラットフォームより自浄作用が強いと言われていたのだ。

もちろん11年後のわれわれは、そんな楽観的なプラットフォームでなかったことを知っている。RTの使われ方はもちろん多様な面もあるけれど、数にまかせた示威運動という側面がかなり強くなり、とくにこの半年は新型コロナウィルスに関連する攻撃的なリツイートに悩まされてきた。

ネット上にあふれている差別的な言葉。感染した人やその疑いがある人への激しい差別や攻撃は、世界的な問題になっている。感染症の流行時に特有な差別や偏見のレッテル貼り『社会的スティグマ』は、なぜ起きてしまうのか?

新型コロナウイルス ビッグデータで闘う | NスペPlus

これは5月に放送されたNHKスペシャルで、内容は「ワクチン」「接触確認アプリ」「ネットでの攻撃的な発言」の三部構成になっており、最後のセクションでは、東京大学の鳥海不二夫准教授が新型コロナウィルスに関する1億2000万件のツイートを分析した結果をもとに番組が作られていた。

発信者の感情を10種類に分類したところ、「怒り」の感情がとくに拡散しやすいことがわかったという。人間は非常事態になると、ストレスによって短絡的なアクションを起こしやすく、自分の身を守るためにも、ポジティブな感情よりネガティブな感情を拡散しやすくなるらしい。

このため攻撃的なツイートがデマであっても、それをいさめる(訂正する)ツイートの拡散力のほうが遅いのだという(ここで比較されているのは拡散の速さであり、到達する範囲・リツイート数の違いもまた別な視点としてあるだろう)

ツイッターに新しい生活様式は必要だろうか?

ここで、2008年にリツイートというものが生まれたときに、ソーシャルマーケティングのアナリストによって何と言われていたのかを振り返ってみよう。

Twitterコミュニティにおける「リツイート」は、あるアイデアを支持することを示すソーシャル“しぐさ”だ。

人間は非常事態には「怒り」やネガティブな感情を支持するしぐさをネット上で見せる。どうやればそれは抑えられるのか? ひととして自制することが大切なのか? 例えば、ユニセフはそのためのガイドラインを配布している。

新型コロナウイルス感染症(COVID-19)に関する社会的スティグマの防止と対応のガイド

しかし、何らかのコードの働きにより、人びとの直接的な行動が抑制されるということはできないだろうか。リツイート前に「ほんとに読んだの?」と確認してくれることがどれだけ期待できるかわからないが、そのほかの手段によってポジティブなアイデアを支持しようと示唆することはできないだろうか。それが本来はITによるサジェッションのちからではないだろうか。

公式リツイート・公式引用リツイートが実装されていなければ、人はフェイクなのか元ツイートがあるのかわからない混乱したリツイートの沼から脱出できなかったわけで、開発者が悔やもうとも、それが実装されたことは正しかったのだとおもう。ただ、見通しがよく便利になったことで、また別の新しい課題が生まれてきている。

狭い路地しかない町で不衛生な状態でコレラにかかるのは抑制できたけれど、通りが広くなり、交通網も発達したおかげで、遠くからコロナウィルスが速やかに広まってくるようになってしまった。じゃあ交通は不便なほうがよかったのか? もちろんそういう問題ではない。

何も機能がなかったツイッターに、利用者が工夫と議論を重ねて生まれたリツイートというしぐさが、やがて公式の機能となり、人びとはボタンひとつでツイートを拡散できるようになった。それが当たり前になった世界で、ようやくその行為そのものが持っている課題や問題点が明らかになっている。ネットでもまた新しい生活様式(new normal)が必要なのかもしれない。

Chim↑Pom「May, 2020, Tokyo」