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表参道で働くシニアのブログ

タイアップの歌謡史 / 私の日本音楽史

id:gotanda6さんの単著「タイアップの歌謡史 (新書y)」を読了。買ってきて数日で夢中になってあっという間に読み進めてしまいました。面白い! 自分がいままで知りたかったようなことがたくさんここに書いてあった。わくわくした。

日本初のレコード流行歌である松井須磨子「カチューシャの唄」にはじまって戦前戦後の映画主題歌・GS・ニューミュージック・ベストテン・J-POPと、タイトルの「歌謡史」とはうらはらに、歌謡の枠に収まりきらないロック・フォーク・Jポップまで幅広く、日本のチャートミュージック全般を視野に入れているのが素晴らしい。「歌謡」とは「ポピュラーミュージック」の翻意とみつけたり。

個人的には、これまで「テレビに出ない」ことを標榜し、それはメジャーからの独立性を意味すると見られていたフォーク・ニューミュージック一派について、むしろラジオとの蜜月や歌謡曲への作品提供といった側面から捉えなおしたくだりには興奮。つまり「メジャーVSアングラ」といった縦の対立ではなく、ひとつのタイアップ市場でテレビとラジオ側のどちらが主導権を得るかという横の対立だったんですね。それが面白かったなー。

もちろん90年代以降のテレビタイアップやビーイング全盛は氏の独壇場だし、00年代にはいってから広告からPRへのタイアップ手法の変化という指摘は、ここのところネットビジネスでよく言われているバズマーケティング・クチコミ広告ともつながって面白い。
この本でひとつ痛感したのは、日本では音楽シーンというものは決してマスな場所では独立して存在しないということであり、歌謡(レコード・CD)というひとつのメディアは、常に誰かと組まなければ(タイアップ)やっていけないということであり、そのお相手が大衆演劇から映画、テレビCM、深夜ラジオ、テレビドラマと変遷してついにネットなんていう成り上がりまでも相手をするようになってきた(いまはまだ「何よアイツむかつくわね」とか言ってるけど、こりゃきっとツンデレってやつでしょう)。

本書はつまり、決して自立できない歌謡という尻軽女がこれまで庇護を求めて「寝た男(メディア)の歴史」であり、タイアップから見た歌謡の歴史だけではなく、流行歌から見たメディア変遷史ともなっている。そこが面白い。日本のポピュラーカルチャーに少しでも興味のあるひとは必読。

タイアップの歌謡史 (新書y)

タイアップの歌謡史 (新書y)

私の日本音楽史

そしてたまたま「タイアップの歌謡史 (新書y)」と同時に読んでたのが、クラシックの作曲家 團伊玖磨による「私の日本音楽史 NHKライブラリー 100」。これが速水さんが決して取り上げなったアカデミズム分野つまり古くは雅楽・純邦楽から維新後の唱歌・クラシック教育という分野の発展史をたんねんに掘り起こしていて面白い。補完し合う一冊というか。

タイトルに「私の〜」とついていて「パイプのけむり (1965年)」でも知られる著者のためエッセイ的な読み物かとおもったが、私的な話は後半の戦中戦後のところに出てくるだけであり、基本的には細かく資料にあたった読み応えのある教科書となっている。一章まるまるあてられた「君が代」の研究もいろいろ考えさせられるし、戦前の西洋音楽の普及に唱歌と軍楽隊が果たした役割を細かく検証している。

松井須磨子など「タイアップの歌謡史 (新書y)」と重なる部分もあり、戦前歌謡についてもページを割いているが、いわゆる西洋音楽よりも米国黒人音楽(当時の言い方でいうなら「ジャズ」)の影響下にあるサウンドについては意図的にか偶然か触れられていない(たとえば大衆音楽の作曲家として中山晋平や古賀政男は紹介されるが服部良一の名前はない)というのも、かえってこの内容からすると一貫していて良かった。

私の日本音楽史 NHKライブラリー 100

私の日本音楽史 NHKライブラリー 100