in between days

表参道で働くシニアのブログ

サンボマスターを渋谷系と書いてしまった記事について(セカオワだったらどうだろう?)

(この記事は下書きに3ヶ月くらい寝かしてたものです)

5月にサンボマスターは渋谷系と書いたら、ブコメとかでけっこういろいろ言われてしまった。たいへん失礼いたしました。

渋谷系の音楽っていうとどのバンドを思い出す? シンバルズ? フリッパーズギター? それともサンボマスター? みたいな「渋谷系」のレキシというかイメージの話 - in between days

とくに深い考えがあったタイトルではなく、貼った動画のなかでいちばん知られてそうなバンドなんだろう? ってだけ入れたんだけど、自分のイベント「渋谷の日・渋谷的な夜」でも実際にサンボマスター「夜が明けたら」をかけたわけで、いちおう自分のなかで整合性は取れていて、サンボマスターのソウル指向をどのように評価してるかで見方が変わるんだろうなとおもっている。

実はセカオワもいれようとおもってた

最初に音源をピックアップした段階では、サンボマスターの次にセカオワを貼って、だいたいこういうかんじで原稿がおわるつもりだった。

虹色の戦争 / 世界の終わり


BOARD GAME / DOG HAIR DRESSERS


君とのサンデイ- / Clownfish


For You / Czecho No Republic

で、あらためて見なおして、たしかにこれもありかもしれないけど、もっとちゃんと「ポスト渋谷系」っぽいバンドたくさんあるよなと思い直し、バッサリとカットしてジェットラグから戻ってくるみたいにしたのはよかったなっておもった。

そもそもあのリスト、ときおり勘違いされてたひともいたけど、往年の渋谷系そのものではなく、渋谷系がムーブメントとしては下火あるいはデス系みたいなサブジャンルにどんどん拡散してしまったあとに、ジャンルとして参照可能になってからの「渋谷系」っぽい音を90年代後半以降から探す、って趣旨のリストなので、いろんな方向から拾ってあったほうがサバービアスイートっぽさあってそれもありだったかもしれない。とはいえ、セカオワ入れてたらどうだったろうな……?

最近のバンドも入れたかった

そういう意味で、最近このあたりのバンドが気になっていて、こういうサウンドまた増えてるのかな? ほかにもよいバンドがあったら教えてください。

Suddenly / Predawn


I Want You Back / Homecomings


手のなかの鳥

手のなかの鳥

I Want You Back EP

I Want You Back EP

SUNSET TOWN e.p.

SUNSET TOWN e.p.

おまけ・90年ごろの渋谷系周辺の音楽状況として書いていなかったもの

先の記事では渋谷系をめぐる音楽状況として3つの方向性みたいなものを書いたけど、実はそれでは抜け落ちているのではないか? というところもあって、ひとつにはいろいろな音楽が再評価されたなかに、必ずしもクラブ向けではなかったり、ソウル・ミュージックではなかったりするものがあるということ。

例えば、「ソフトロック」という視点で見てみると、また違う世界が広がってそう(ぼくあまりソフトロックは得意でないのでだれかに書いてほしい)

そのほか「フリーソウル」という言葉もこのころ生まれたが、それはソウル・ミュージックということでいいのかもしれない。ただ、渋谷系の黒人音楽への理解のし方が違うということを、ラブタンバリンズのエリが語っている。

とはいえ、ラブタンのエリの歌声はリンダ・ルイスのようで、英国音楽的ではある……。

もうひとつはラテンだけど、これはクラブ志向に入れていいのかもしれない。

マンボスパイ2

マンボスパイ2

  • アーティスト: 東京パノラママンボボーイズ
  • 出版社/メーカー: テイチクエンタテインメント
  • 発売日: 1992/04/22
  • メディア: CD
  • この商品を含むブログを見る

おまけのおまけ:宇多田ヒカルと渋谷系

90年代の中ごろを境にして、ムーブメントとしての渋谷系と、その後のジャンルになってからの「渋谷系」といわれる音楽がどう違っているのか? どうジャンルとして固定化されたのかを考えてみるんだけど、まずクラブ音楽、ダンスミュージックとしての性格は間違いなく消えていると言えるんじゃないだろうか。

考えてみれば、90年代はダンスミュージックがこれほど流行ったことがあったのかというくらい、メジャーからマイナーまでダンスサウンドが日本中を席巻した時代であり、サブカルチャー(あるいはアンダーグラウンド)な面ではヒップホップもやテクノ・ミュージックの熱が高まっているし、渋谷系もその影響を受けた文化系の一派と見ることができる。

一方でメジャーシーンでは、それこそ「TKプロデュース」の全盛期であり、小室哲哉が手がけたtrfやglobeなどがチャートを賑わせた。しかし、その熱は1998年に突然終わりを告げるようだ(ウィキペディアによるとだけど)。

1997年に安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」が年間ランキング1位を獲得したものの、翌1998年は小室作品がTOP30にランクインしないなどその失速は急激なものであり……

小室ファミリー - Wikipedia

1998年に何があったのか? 賢明な読者諸君にはお分かりのように、ここで「宇多田ヒカルがデビュー」してるというのはかなり象徴的なんではでないかなあとおもう。宇多田ヒカルが作る音楽は一貫してずっとクラブミュージックなんだけど、しかしそこでダンスを前提としたような聞かれ方をほとんどしていなさそうということがおもしろい。

文化系的なダンス音楽でチャートのトップを取ってしまったという無理矢理な見方でもって、ダンス音楽のアンダーグラウンドとメジャーシーンは、宇多田ヒカルという個人によって統合されてしまったのだ、みたいな壮大な物語を語ることも可能ではないだろうか(ということは宇野さんの本には書いてなかったとおもう)。

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

おまけのおまけその2 東京のライブハウスシーンの変遷と○○系

90年代の東京の音楽シーンを、そこで活躍したプレイヤーたちがどういうハコでプレイしていたのかを考えるのもおもしろい。

例えば、新宿にJAMというライブハウスがあって、そこに集まったモッズな人たちが90年代以降のさまざまな音楽シーンのベースになっていたりする。その話がこのインタビューで読めて、すごく面白い。

www.cdjournal.com

その当時、明治通りをはさんだほぼ向かい側に、よりメジャーなバンドが出演する日清パワーステーションがあった。新宿にオールスタンディングで方向性の違うライブハウスが2つ隣接していたことは、音楽の街として新宿の位置づけに影響していたかもしれない。

90年代にはいって、渋谷にもクラブ・クアトロやON AIR(いまのO-EAST)ができたが、これは「渋谷系」の成立に影響を与えているだろうし、下北沢により小さなクラブQUEができたことは、レコードショップ「ハイライン」の存在と並んで、下北沢にインディギターロックっぽさをもたらしたようにおもう。

新宿には今もJAMは同じ場所にあるけれど、パワステが閉店し、ロフトが移転し、そしてリキッドルームが終わった(恵比寿移転)したことで、なにか新宿の時代が終わったような印象があった。