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表参道で働くシニアのブログ

野村あらえびす『音樂は愉し』読んだ 集めることの情熱がある

SPレコードとラジオの時代にクラシック音楽のファンとして知られた野村胡堂によるエッセイ集。終戦直後の1946年の刊行で、それまで音楽について書いた文章を再編集したもの。1953年に音楽の友社が音楽文庫に入れ、2014年に現在の形で再版している。

わが国音楽評論界の、ことにレコード評論においてのルーツといえる人物である野村あらえびすが残した、貴重なエッセー集。ことに大正から昭和初年のコレクターとしての苦労と喜び、当時の知識階層との交流が格調の高い文章で綴られてゆく。

音樂は愉し - 音楽之友社

あらえびすは胡堂氏の別名で、胡(えびす、夷)からのペンネームだそうだ。

そんな荒々しいペンネームとはうらはらに、読み終わった全体的な印象としては、ジャズや流行歌を一顧だにしないクラシック至上の姿勢に、教養主義というか権威主義的なものを感じなくはなかった。ただ、それが100年ほど前も昔の話となると、今とは音楽流通の事情がまったく違っていることが随所からうかがえて、時代の記録としての面白さが勝ってくる。

さらに、そこに通底する音楽を渇望する気持ちが、実演も流通も限られているからこそ熱く、例えばベートーベンの第9交響曲が初めて通しで録音され、日本に最初に入ってきたサンプルを後生大事に自宅まで抱え込み、初めて蓄音機で鳴らすくだりの熱弁は、レコードをワンセット聞いたというだけにとどまらない感動がある。

ところが、そのベートーベンの第9を手に入れたのはあらえびす氏だけでなく、彼に煽られるように日本でベストセラーになっていたような記述を見つけて驚いた。

1937(昭和12)年の支那事変ごろまで、多くの外国人音楽家が来日した。当時東京、大阪は世界の音楽市場においてもっとも高級な音楽を愛好する都市として有名になっていたからだ。

クラシックのレコードも世界一売れるようになっていた。西洋音楽が日本に入ってきて日も浅いのに?といぶかるかもしれない。交響曲、ソナタの全集も日本での売れ行きを計算に入れなければなりたたないと言われた。

日本初の全集は大正13年ドイツ、グラモフォンのベートーベンの第9交響曲で300組の予約があったという。その後ワインガルトナー指揮の同じ曲が3,000組売れた。第5番「運命」はトスカニーニ指揮が約30,000組、他にもメンゲルベルグ指揮、フルトベングラー指揮、ワインガルトナー指揮のものがそれぞれ数千組売れた。

昭和8年ベートーベンのピアノソナタ全集の予約は2,000組で全欧州各国の合計と一緒でありアメリカは言うに足らぬ少数だったと「音楽50年史」に記載されている。

このようなレコード愛好家を生んだのは、あらえびす(銭形平次の原作者、野村胡堂のペンネーム)、野村光一などの評論家の面々のお陰だったとも書かれている。

金沢蓄音器館 館長ブログ その162「金沢人はクラシック好き」2014年5月

後の洋楽ロックにおける「ライブ・アット・武道館」ブームを彷彿とさせる話だけど、当時も「ビッグ・イン・ジャパン」な音楽家がいたりしたのだろうか? この『音楽50年史』とは堀内敬三氏による1942年の著作のことだろうけど、講談社学術文庫の版もAmazonになかった。

ともあれ100年前の日本人も、今のレコードコレクター諸氏と同じような気質があり、たくさんレコードを集めていて音楽をたくさん聞いている自分が一番よく音楽を知っているはずだという自負というか、音楽ファンの心意気が感じられる。

例えば、あらえびす氏は1万枚のレコードを持っていたそうである。この本で何度も書いている。

枚数をアピールするのは、いかにもコレクターらしい所作と言えるだろうが、レコードといっても今ある塩化ビニールの薄い盤ではなく、固くて重くて扱いにくくて割れやすい天然樹脂シェラックのSP盤なのだから、確かに集めるのも保管するのもたいへんだっただろう。

ただ、ここでふとそこに収録されている音楽の量を考えて、不思議な気持ちになった。

SP盤は通常直径10インチで片面4分、1枚で両面あわせて8分しか収録できない。7インチのドーナツ盤、つまりシングルと同程度と考えられる。それが1万枚ということは8万分(minutes)だ。仮にCDが1枚あたり平均で50分とすれば、1万枚のSPレコードは、CD換算で1,600枚にすぎない。

すぎないと書いたのは、その程度の音楽ならウチにもあるからだ。おそらくCD全盛期の'90年代に洋楽をたくさん聞いてたような40代以上の音楽ファンなら、だいたいその程度のCDは部屋の片隅を占拠しているのではないだろうか。天下の大作家が自負する音楽コレクションと同程度の愛好家は、いまの日本に掃いて捨てるほどいる。

さらにデジタルデータで考えるなら、ビットレートによるけれど、仮に1分のMP3ファイルが2MBとするなら、8万分で16万MB。ざっくり160GB*1。2007年に登場した第6世代iPodクラシックがちょうど160GBのストレージを備えていたので、あらえびす氏のコレクションは21世紀には手のひらに収まってしまうことになる。

もっともストリーミングのサブスクリプションがメインになった現在では、レコードの枚数であったり、もはや音楽コレクションにどれだけ意味があるのかわらかない。だからこそ、レコードを収集することが特別で十分な価値のあった旧世紀の物語がより興味深く、むしろ音楽を離れてコレクションという行為全般に共通する熱情があった。

ところで舟木一夫が歌ういかにも和風歌謡曲然とした「銭形平次」の主題歌を聞いたら、野村あらえびす氏はどんな顔するだろう。

ちょんまげ天国~TV時代劇音楽集~

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*1:1024で割るべきというツッコミもあるだろうけど、そもそも雑な概算なので1000分の1で勘弁してほしい。