in between days

表参道で働くシニアのブログ

2010年代のCD売上チャートに現れている「動員」という指標について

2カ月ほど前のことだけど、処分に困った大量のCDが太宰府市の山中に捨てられるというニュースがあった。

特典や限定盤、握手券・投票券のためにCDをたくさん買わないといけないのはアイドルオタクの常とはいえ、ニュースによると1,000枚分の投票券の入力を仲間で頼まれたということだから、CDが1枚1,000円としても原価で100万円かかっているわけで、それが投票終えるとゴミになるの、じつにすごい話だなとおもった

https://www.nishinippon.co.jp/nnp/national/article/366336
AKBのCD585枚投棄 容疑の男を書類送検 「処分困り」山に - 西日本新聞(※記事掲載終了 2019年8月追記)
(ブックマーク分散してる)

こういうこともあって、オリコンなどのCD売上ランキングにはまったく意味がなくなっている、という話をよく聞く。

年間CD売り上げランキング1位ともなれば、いわゆる国民的ヒット曲というものであって、日本人ならだれもが聞いたことがあるとか、カラオケでみんなで口ずさめるとか、そういった歌であってほしいところだけど、2010年代のチャート1位はすっかりそんなヒット曲ではなくなっている。

ためしにオリコンのサイトで2004年からの年間CDシングルランキングが見れるので1位だけまとめてみたんだけど(リンク先で2位以降が見れます)

*1 曲名 歌い手
2016 翼はいらない AKB48
2015 僕たちは戦わない AKB48
2014 ラブラドール・レトリバー AKB48
2013 さよならクロール AKB48
2012 真夏のSounds good AKB48
2011 フライングゲット AKB48
2010 Beginner AKB48
2009 Believe/曇りのち、快晴 嵐, 矢野健太 starring Satoshi Ohno
2008 truth/風の向こうへ
2007 千の風になって 秋川雅史
2006 Real Face KAT-TUN
2005 青春アミーゴ 修二と彰
2004 瞳をとじて 平井堅

こうやってみると10年前まではまだ「国民的ヒット曲」の様相があったのだなー。2006年リリースの「千の風になって」が2007年にヒットしているのなんて年末の「紅白歌合戦」で歌われてからだろうから、ほんと絵にかいたように「国民的」だ。

一方で、2010年以降はずっとAKBなんだけど、ここ5年くらいのAKBのシングルでいちばん「国民的」っぽさがある「恋するフォーチュンクッキー」がはいってなくて、5月後半ごろのシングルがずっと続いてるのがおもしろい。

CDチャートが気になるひとはまだまだ多い

でも、ほんとにCDチャートには意味がないのだろうか?

実際のところ、意外とチャートって重要で、以前なら歌謡曲と言われたようなアイドル歌謡界隈を中心に、オリコンのデイリーの1位が取れるか、ウィークリーで何位なのかと運営も気にしているし、ファンのあいだでも一喜一憂がある。

先日、日テレの音楽番組で素晴らしいコラボを披露したSexyZoneモーニング娘。は、ほんの2ヶ月前に同日発売のシングルで実はランキング争いを繰り広げていた。

ハロオタ的には「え? セクゾに勝っちゃったの……!?」という驚きのほうが大きかったけど、やっぱり凄いねメデタイねとおもったし、ツイッターもちょっとザワツイてたりしてて、そういうことがあるってことは、チャートには完全に意味がなくなったわけじゃなくて、なんらかやっぱりあるわけなんだろう。

じゃあそれはいったい何なのか?

それは「どれだけ応援されているか?」ってことを表していて、チャートはその指標になっているんじゃないかとおもったのだ。


Sexy Zone「ぎゅっと」と同日発売になったモーニング娘。'17「弩級のゴーサイン」

どれだけ応援されているか? の客観的な指標

シングル発売に備える熱心なファンのなかには、初回生産限定盤を事前に予約をしつつ、前日に大手レコードショップを回ってオリジナル特典付きをフラゲするといった方も多いだろう。

そうなると、これはただ発売日というだけでなく、一種のイベントだと考えることはできないだろうか?

つまり今やCD売上チャートというものは、いったい何人の人間といくらのお金(つまり売上枚数)を「新曲のCD発売」というイベントに動員することができたのか? を表しているということにならないだろうか。

昨今のエンターテイメント、とくに音楽業界はタコツボ化が激しくて、自分がファンとして深くのめり込んでいる沼以外の世界のことは意外と耳にはいってこない。

「国民」といったあやふやな浮遊層ではなく、いつもの固定層、熱心なファン、オタクといった人たちにちゃんと正しく気持ち良くお金を払ってもらう、払い続けてもらうことでエンターテイメント業界は成り立っていて、それは若手のバンドや地下アイドルから、ドームツアーを組むようなビッグネームまで同じ構造、ただタコツボの大きさが違うだけなのではないだろうか。

音楽CDチャートというのは、その中にいたならわからない客観的なタコツボの大きさというものを、ほかのタコツボのサイズと比べることで認識させてくれる、わかりやすいマーケティングの指標としてやはり現在でも機能しているのではないか。

役割は変わったけど、そこにはやはり意味があって、AKBや嵐が国民的なヒット曲を毎年出しているのかといったらそうではないかもしれないけど、それぞれ日本でいちばん動員があるグループだ、と言われたらそうだよねって納得せざるを得ないところはある。

といったことを考えていて、ふと腑に落ちたきがしたのは、以前からAKBの総選挙でファンが買うCDというのは、あれはなにを買っていることになるのだろうか? という疑問なのだった。投票券だろ? と言われそうだけど、投票したらそれはあとは山の中に捨てるひとすら出るようなゴミになってしまうわけで、手元に特別なものは残らない。

握手券ならまだアイドル本人と会えるわけで、そこには貴重な体験と時間がある。しかし、投票券を使って投票することで、そのアイドルは順位があがって喜ぶだろうけど、ファンへの見返り、お金を払っているに値するものは何なのか? その子の喜びのためなのか? そうするなら、これほど純粋な「応援」もないのではないか。

ファン活動には多かれ少なかれ「応援」の側面がある。しかし、コンサートにしても握手会にしてもCD発売にしても、人にまたイベントによって比率は変わるだろうけど、基本的には何らかの体験であったりグッズであったりと引き換えることで、本来なら値付けしようのない内面的な「応援」という気持ちを金銭と交換するものだ。

純粋にただ純粋に応援するためだけにお金を払っているといってもいいようなところがAKBの総選挙にはあり、それで測れるのはなにか? 総選挙のトップになるということはどういう価値なのか? それだけの「応援」を集めることができるということなのだろう。見方を変えるなら「動員」の力があるということなのではないか。

ひょっとすると、いまエンターテイメントでは「人気」だとか「ヒット」といったわりとあやふやな指標ではなく、しっかりと計測できる「動員」だけでもってすべてが割り切れるような状況になっているのではないだろうか、というようなことを考えた。


3連覇も含む4回の総選挙1位という圧倒的な動員力を有する指原莉乃がはじめてトップを取ってセンターを務めた「恋するフォーチュンクッキー」。2010年代における「国民的ヒット曲」のたぶんひとつ

恋するフォーチュンクッキーType A(通常盤)(多売特典なし)

恋するフォーチュンクッキーType A(通常盤)(多売特典なし)

邪魔しないで Here We Go!/弩級のゴーサイン/若いんだし!(B)

邪魔しないで Here We Go!/弩級のゴーサイン/若いんだし!(B)

*1:リンクはオリコン