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表参道で働くシニアのブログ

過去のFacebookの書き込みより

● 2014年7月16日

昨日、キュレーションメディアサミットってイベントに行ってきたんだけど、バイラル系のメディアにありがちのコピペとか写真無断流用とかどこまで許されるのか? みたいなメディア倫理的な話題はほとんどなくて、いっそ清々しいかんじだった

「キュレーションメディアサミット」というのはこれ

これから来る!?キュレーションメディアサミット | Peatix
http://curation-summit.peatix.com/ 

佐藤さんの講演はいいとして、パネル登壇者がその後の3年間でどれだけ炎上したかという、今からみるといろいろに伝説的なイベントなんだけど、このときはわりと本気で編集という職能に未来はないのではないかと考えた。記事を読むひとが、よく編集者された記事と適度にまとめられた記事の違いがつかないのであれば、あるいはついているとしても後者のほうがより役に立つ記事だとするなら、よく編集するということの意味はどこにあるのだろうか? ということを考えたのだった。

しかし、その後の経緯で、適度にまとめるという程度のことであっても編集的な知見と経験を必要とするもので、そのあたりの感覚がまったくないものが炎上することなくまとめを続けられるということはないのだということもわかってきた。一方で、リテラシーが高いと考えられていたひとたちもいがいと雑なまとめをすっとそのまま読んでしまうということがわかってきて、いろいろとあるけれど、流れとしては同じだけのお金をかけるのであればきちんと制作された記事のほうが、雑な記事を大量に作るよりも効果が高いということになってきている3年間なのではないかとおもった。

残念なのは村田マリ氏で、このイベントのときにひとりだけちゃんと(キュレーション)メディアというものがわかっていたという印象だった。キュレーションメディア(あるはバイラルメディア)がそれまでのメディアと大きく違うところは、検索流入を強く求めないということであり、SEOよりもソーシャルメディアでのバズを重視するという姿勢にある。ソーシャルで広まり、なんどもサイトを訪れてくれる強いファンを作ることで、時節によって上がり下がりする先物相場のような検索流入に頼らない、安定したメディア運営が可能になる。それがキュレーションメディア(バイラルメディア)の実は新しさであって、記事の手法が「まとめ」によっているのは、まとめがソーシャルと相性がよいこともあるが、スタートアップのメディアが安価に大量の記事を制作する手法が、かつて動画でYouTubeが通ってきたような著作権のグレーゾーンを走り抜けることにしかなく、米BuzzFeedなどは無事にそれを走り抜けて独自のメディアの位置までたどり着くことができた。

DeNAの騒動でWELQとともに叩かれがちなMERYだけど、両者はそういった意味で大きく違う。ともによくないところがあったため閉鎖されたという事実は重く受け止めなければならないが、その違いを考えておくことは重要だ。身体がだるくて熱が出てるからといって、風邪とインフルエンザではまったく違うし、もっと別の病気である可能性もある。それをぜんぶ「病気だ、寝てろ」といってしまうのは乱暴なのであって、どういった病気なのか、それが重篤なのかどうかは考えなければならない。

WELQについていうなら、バイラルメディアであるのにSEOにより集客しようというのはそもそもの立ち位置が間違っている。バイラルメディアはファンと固定客を意識して運営されるメディアであるのに、まったく読者を意識しないような記事をいくら大量に制作したとしても、それはただのコンテンツファームであって、バイラルメディアではない。一方で、MERYには、よく言われるように女子大学生の圧倒的な支持を得て、バイラルメディアの運営としては成立していたようだ。BuzzFeedのように独自のメディアの立ち位置までたどり着ける可能性もあったのかもしれない。メディアについて考えようというときには、この違いは意識なければならないことだろう、ということが、この3年間でもっともわかったことだったのかもしれない。

● 2013年7月16日

NAVERまとめが、タンブルログ的なまとめ作成じゃなくて、記事というかオピニオンというか事件まとめみたいなのに使われるの、ほんとに違和感があって、なんつーか「見出し話法」というか、電車に乗ってて車内吊りの雑誌の広告で見出しだけ読み比べて何が起きてるか理解するみたいな。複雑なストーリーのドラマ見てるときに「誰が悪者なの?」って聞かれてるような枝葉末節バッサリ感というか、本来ならよく調べたいひとが調べた結果を発表するためのツールになるはずのものが、まったくなにも調べたくないひとのプラットフォームになってるという、ツールの可能性と着地点の違和感みたいなかんじだった