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in between days

表参道で働くシニアのブログ

バイラルメディアの炎上からおもうことは「Webディレクターのための編集入門」というドキュメントがあったほうがいいんだろうなということ

2014年をふりかえって、Web界隈では「バイラルメディア」って言葉をよく聞いた。

しかも、年頭はまだ「海外で話題の新しいメディア形態」というポジティブな扱いだったきがするんだけど、雨後のタケノコのように国産バイラルメディアが登場して、そのいくつかがパクり記事やデマ記事を拡散・炎上して「バイラルメディアはゴミか?」という評価にまで急降下するというアクロバティックな展開には、個人的に流行語Web大賞あげてもいいくらいなんじゃないかとおもう。

こういったバイラルメディアのパクりやデマ記事の問題は、おそらくだけどそれぞれの媒体にちゃんとした編集者がいないのか、いたとしても何らかの理由でちゃんと機能していないのが原因だろうなと思っている。いや、とくに編集者という職務じゃなくてもいいのだけど、ようは「編集」という作業がされていないってことなんだろうとおもう。

そもそも「編集という作業」といま何気なく書いたけど、実のところ読んでいるみなさんがそれでどういう「作業」を思い浮かべているのかよくわからないし、統一されたイメージはきっとないんだろうな、という気がしている。実際のところ、編集者って仕事は、よくある職業のわりに、やってることはブラックボックスというか、ある業界に閉じているようにおもう。ある業界っていうか、出版なんだけど。

文章を直したり、見出しを付けたりって仕事がそうだと思っているひともあるだろう。

以前に、バイラルメディアについてのパネルディスカッションで、あるキュレーションメディアを運営しているひとが、ライターが増えてきたので彼らを組織して進捗を管理するために経験ある編集者を雇った、というようなことを言ってたけど、そういう側面もあるだろう。

同じように「バイラルメディアには編集者は不要だ?」という議論も、そのセミナーではされていたようにおもう。

編集者が必要か不要かは別として、ひとつ間違いない事実は、「メディア」という種類のWebサイトを運営するのであれば、そこに「編集」という業務は必ずついて回るということだ。

それは、Webサイトを作る際に、デザイナーはいないかもしれないけど誰かはデザインをしなくてはいけないように、プログラマーがいなくても、ソーシャルメディア連携をやるためにスクリプトを書いたり誰かがしなくてはいけないように、メディアを運営するならば、そこに記事があるならば、記事の掲載に際してなんらかの判断をする必要があって、それは「編集」という仕事なのだ。

だから、バイラルメディアにだって、編集者は不要なのかもしれないけど(雇う予算がないとか?)、編集という業務を担当する誰か、は必ず必要になる。そして、往々にしてスタートアップでは、Webディレクターがいろいろな職を兼任しなければならないことがあり、だから、そういう職業のひとのために、別に編集なんてやりたくもなんともなかったんだけど、やらざるを得なくなったひとのための「編集入門」というドキュメントが必要なんだろうな、とおもった。

で、この原稿は最初、そういう人が読むべき「編集の入門書」を5冊紹介します! みたいな、ありがちなライフハック系の記事として公開するつもりだった。なんだけど、いろいろ探してみても、どうやら、そういうドキュメントは無いらしいということに気がついた。

いや、あるよ! というひとはぜひコメントやブックマークコメントで、不肖ワタクシにご指摘いただけるとほんとに助かります。

たしかに、ちょっと「編集」でAmazonなりを検索すれば、たくさんの本が出てくる。でも、だいたいそういう本は、これまで編集者が対象としてきた「雑誌」や「書籍」といった媒体に、物理的にも業界構造的にもものすごく依存した書かれ方をしていて、Webディレクターに読ませるのに、校正記号の使い方とか載っててもなーとか、ゴシップを取材するときの心得とかあってもなーとか、「何にでも興味を持つことです」みたいな漠然とした精神論を語られてもなーというかんじになってしまう。

そもそも、編集者や元編集者が書く編集の本は、やっぱりカッコつけているというか、編集という仕事はかっこよくて素晴らしくてクリエイティブなんだぜ、っていうことをアピールしまくっている、意識が高いものになりがちなんだけど、いま必要とされているのは、もっともっと泥臭いドキュメントなんだとおもう。

つまり、バイラルメディアとかが扱う領域は、ご存知のように真偽も作者も不明なコンテンツをドヤドヤっと紹介してバズらせて広告でマネタイズしようみたいな鉄火場で、そこにあるのは、なんとかしてただのデマ記事やらパクり記事やらではなく、いちおうは紹介記事であってウソは書いてない体裁を整えて、記事としての質さえ問わなければ問題はないという形で公開するという最低のラインが求められているはずである。

そんなことは誰だってできるだろう、という気もするんだけど、いや実際のところ誰にもはできなかった、というのがこの2014年のいくつかの炎上から学べることであって、そもそも「記事の体裁を整える」といえるために最低限なにをしないといけないのか、という基本中の基本について、改めて考えなければならないのではないかと思った。

自分をふりかえってみると、編集という仕事をどうやって覚えたのかというと、ほぼOJTであって、先輩編集者について見よう見まねでやってみて、ダメ出しされて、やり直して、怒られて、学習して、という繰り返しだったようにおもう。編集者という職種は、意外にも未だに広範囲にわたって、徒弟制なのだとおもう。

編集という職業が、参入の難しい「出版」という業界に閉じているうちは、それでもよかった。しかし、いまや、昨日までWeb広告の営業をしてました、というような若手社員が提出した事業案が認められてスモールスタートでメディアが立ち上がったりってことが普通にあちこちでありそうなご時世になってしまっている。

出版が好きだったり、もともと編集者になりたかったりする人なら、なんらか自分で教科書見つけるだろう。そうでなく、ふつうに個人ブロガーとかWebディレクターに編集の職務が課せられる時代であるにもかかわらず、そこで読まれるべきテキストは何もない。

凄い編集者になるためにではなくて、普通にやっておかないといけないことが意外と共有されてないのではないか、「編集」っていう仕事を編集職じゃないひとに説明しようとしているのに、説明する言葉がないのではないか、ということに気がついて愕然としていたら年の瀬を迎えていたというキツネにつつまれたような気分です(意図した誤用)。

Webメディアの状況を見るにつけ、編集を職業にしてきた人が学んできた暗黙知の固まりの中から「記事を出稿するひと」ならばマスターしておかなればいけない知見を抽出して、一般に広く共有できるようにしておかないと、編集って職種が持ってたなにか(それがもしあるとしたらだが)が、なしくずしてきにロストしてしまうのだろうなとおもう。

で、まあ、こんだけ書くヒマがあるなら、お前やれよ、っておもった人もけっこういるかもしれないけど、逆にそういう危機感を共有している編集職のひととか、そういうドキュメントあったら読みたいっていうWebディレクターの人っているんかなあ? という疑問もあって、あまり人と共有できそうもない問題意識なので、とりあえず問題意識だけ共有してみる。

というか、実際にそういう文書、書こうとすると、体で覚えてることを言語化するみたいな作業になって、ほんと「あれ? オレ、どうやって編集してんだっけ?」みたいになって、それはそれで困っている。ただの老害っぽい。

たのしい編集 本づくりの基礎技術─編集、DTP、校正、装幀

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