in between days

表参道で働くシニアのブログ

ジャック・ニコルソン / ブラッドサースティ・ブッチャーズ

8枚目のオリジナルフルアルバム。1stアルバムが1990年のリリースなので今年で14年選手。ベック(ジェフじゃないほう)の初来日の前座で見た記憶がある。そんな彼らの先日出たばかりの最新作『birdy』の幕開けとなる1曲目「Jack Nicolson」。

birdy

birdy

PVの作家イシバシミツユキ氏のサイト(→第18格納庫)でPVのディレクターカット(99MB)がダウンロードできるので、なにはともあれまずはコレを見て欲しい(ナローバンドな方は職場でダウソするなりして)。素晴らしいPVだと思う。オレは迂闊にも仕事中に見てしまい、職場で泣くかと思った。

追記 2004-03-15 1:34

酔っ払った勢いでエントリを書き上げてアップしたんだけど、後から読み返してみたらどうにも感傷的過ぎるきがしたんで、ちと書き直してます。てゆか一部バッサリ切りました。基本的にあんま変わってないけど、泣いてばかりいるのもどうかと思ったので。

僕はどんどんと年をとっていく訳で
作るものはどんどんと色褪せる

この曲は、自らの再出発を高らかに宣言する曲だ。新たにギタリストに元ナンバガ田渕ひさ子を迎え、レコード会社も移籍し、ここから一発ぶちかましてやるぜ、という決意表明だ。その歌いだしの初っ端のワンフレーズを、寄りにも寄ってこんな歌詞にしなくてもいいじゃないか!

そうだ。確かにオレはどんどん歳をとっていく。アイディアは枯渇する。体力勝負が出来なくなっていく。若手はどんどん力を付ける。市場の変化には付いていけない。愚痴が多くなる。同期はどんどんエラくなる。進めば進むだけ袋小路だ。退路も絶たれた。背中は崖っぷちだ。背水だ。そして四面から楚歌だ。なんて下手糞なやり方をしてきたんだ。そして、ふと気付く。オレ、この先どうするんだろう? バカじゃねえのか。今さら気付くことかよ。

君がその先大人になっても
悪い大人の手本でいたいんだ

「君」ってのはいったい誰だ? リスナーのことか? ブッチャーズより若手のロックバンドどものことか? いろいろ考えられるけど、そういう「君」への真摯なメッセージとは別に、このクラクラするくらい魅力的なフレーズは、一種の挑戦状でもある。

オレは「悪い大人の手本」で居続ける。お前らはどうだ? 今のお前は何だ? 14年後のお前はどうだ? ブッチャーズはそう突きつけている。そして自問自答してみる。オレはオレの「君」にとっての「悪い大人の手本」でいるのか?

ダメと言われりゃ意地クソ張ってでも
繰り返しの様な人生に見えても

ホカにやりようは無いんだし、ホカにやりようは知らない。もうこのやり方でやり通すしかねえじゃねえか。今さらどうしようってんだ。不退転でもって不倶戴天だ。この際だから片意地張り通させてもらう。っていうこれは決意表明なんだろう。居直り強盗のようだけど、スガスガしくもある。そうか、やっぱそうするしかないんだよな。

君がその先大人になっても
悪い大人の手本でいたいんだ

実はまったくの偶然なんだが、個人的に公私共にいろいろと「だんだん歳をとっていくわけで……」という状況下をまさに実感してて、そんなときにこんな楽曲がリリースされるなんて、そんな偶発的なことがあっていいのかという感じがあって、この曲は感傷的な気分抜きではちょっと聴けなくなっている。いいのか悪いのかわかんないけど、いま世の中に百凡あぶれかえる「応援歌」を称するいろんな楽曲よりも、よほど実直な応援歌になってくれてしまっている。

いやオレだけじゃなくって、この不景気下の三十台ってのは多かれ少なかれそんな感じなんじゃないかと思ったりもするんだ。まあ世代は関係ないのかもしれないが、それでもたぶん二十そこそこにこの曲はわかるめえと思ったりもする。

それにしても、いまニッポンで、ギターとベースとドラムで編成されたロックバンドをやっていくというのはホントに大変なことになった。日本のギターロックはここまで来てしまったと。素晴らしくポップであるかつ同じくらいヘヴィである、ノイジーであってシンプルである。しかも、そういう素晴らしいアルバムを手始めに、なおさら前のめりに突き進もうとしているバンドがいる。コレを越えていくのは並大抵のことではない。