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表参道で働くシニアのブログ

ぼくらが旅に出る理由/いちょう並木のセレナーデ

前回のエントリがいまひとつ消化不良だったので、「ぼくらが旅に出る理由」にもう一回チャレンジしてみたい。お題は今回は思いっきり俗っぽく、この曲に登場する「僕」の「君」はどういう関係の2人なのか? ってことでいってみたい。

まず、フツーになにげなく曲を聞き流したてたら、こいつらは現在進行形のカップルだろう。お互い愛し合っているんだけど、女のほうに何か最初は乗り気じゃなかった(けど心変わりした)理由があって、しばらくニューヨークに移り住むことになった。男と女は地球上を遠く離れて暮らしている。君がニューヨークに居るのと同じように、僕は東京にいる。なんかどうにもこのブログは友部正人からの引用が多いな。ま、いいや。

そんな2人の愛の賛歌。「こうして遠く離れていると愛はもっと深まっていくの」なんてメールをもらった男は、何を書いたかナイショにしなきゃならないような返事を得意満面で書きやがって、あーもう見てらんない。はいはい、お熱いことでよござんした。コンチキショウメ、ってな感じである。

のだが、それがどうにもこの曲全体を貫いている「立つ鳥後を濁さぬ」的な旅立ち感と、マッチしない。

遠くまで旅する人たちに あふれる幸せを祈るよ
僕らのすむこの世界では 旅に出る理由があり
誰もみな手を振っては しばし別れる
このサビの雰囲気は、別れた恋人たちの姿をイメージしたほうがスッキリと納まるように思えて、「幸せを祈るよ」ってのはつまり「早く次の彼氏を見つけナよ」ってことであって、こんなキレイな詩に包まれているけれど、歌われているのはつまり「別れたら次のひと」的ないさぎよさなんではないかと。

ってな妄想はさらに続きますよ……


じゃあ、こいつらはいつ別れたんだ? 別れたばっかりか? というと、たぶん別れてしばらく経ってる。きっと3曲前あたりが怪しい。2人は愛し合っていた。神宮外苑の銀杏並木の下で出会って、かつては通り雨が止んだ後で彼が彼女に「お茶でも飲みにいかない?」なんて電話をかけてデートした初々しいころもあった。そして完全な恋に落ちた。夏には街の噂になった。この女性を仮にA子としておこう。

しかしA子と彼の関係は次第に上手くいかなくなった。ドリカムに「好きだけじゃだめなんだ」というタイトルの曲があるが、まさにそんな感じで、一緒に居ることを彼がヘヴィに感じるようになった。「君がそばに居ると、眠れない夜が続くんだ」そこでA子は提案する「別れてあげたっていいわよ(失恋する準備はできてるの)」。くあー! なんて身勝手な男なんだ!

ってオレの勝手な妄想で勝手に怒っても仕方ないが、でも「いちょう並木のセレナーデ」って、ものすごく美しいことばで思い出と失恋を光り輝かせているけど、でもどうもこの曲のシチュエーションって、男の身勝手で女に別れを迫って、女のほうもそれを承諾したって風にしか読めないんだけど、違うかな? でもって世のオザケンファンの女子のみんなさんはこの曲をどう聴いているんだろうか?

さて、妄想に戻る。そうしてA子と別れたオザケンは、ってもうすっかり主人公はオザケンってことになっているが、別れるやいなやヒトのカノジョ(仮名、B子)をマーク外す飛び込みでサッと奪い去るプレイボーイぶりを見せつけ、てゆか略奪愛かよ! その一方でA子ともいい友達の関係を保って一緒に東京タワーなんぞに登ってみたりする。

その帰り、A子は言う「やっぱニューヨークに行くわ」。そしてNYからのハガキ「やっぱりあなたのこと今でも大好きなんだね」。そんなシチュエーションで、そんな君に、ここぞとバカリに「腕をふるって」返事を書く。もう、こればかりはオレおよびそこいら百凡の男どもには逆立ちしたって真似できない所以。そんな、フツーなら返事のしようがなくって困っちゃうような状況下で「とてもステキな長い手紙」を書いてキレイにまとめるなんぞはさすが王子様の面目躍如である。

って、勝手にいま帰り道のタクシーの中で考えた妄想でいちいち嫉妬されたんじゃ小沢もたまったもんじゃないだろうけど、こういう聴きかたも、あながち間違いではないんじゃないかな、と思う春の嵐の夜でありました。それにしても今日は寒かった。風邪ひいたかと思うました。おやすみなさい。