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表参道で働くシニアのブログ

恋愛において男性が「選択される」側に立たされたのはいつ頃?

ARTIFACT@ハテナ系 - ブログの世界では女性が非モテを語っても注目されないから不可視に見える

を読んで漠然と思ったこと。いや、逆のことを考えてて、どうして男性の非モテ論ばかりが目立つんだろう?って気になったんだけど、やっぱ恋愛とか結婚の局面において男性が女性を選ぶ、ってのがまあ封建的というか家長制度的というかある意味で高度経済成長的な典型的日本のライフスタイルだった気がするんだけど、それがどっかで逆転、とまでは言わないけど、女性が男性をセレクトするってことも普通にありうるようになったんだよね。それはいつごろなんだろう? やっぱバブル?

それまで男性には「選択されない」って可能性はまあよほど食いっぱぐれてるひとでもないかぎり普通はありえないことだったからそんなことを考えてもみなかった(一方、女性にはたぶんそういう場合の処世術が蓄積されてるような気がする)んだけど、ここにきて男性であっても「選択されない」ってことが平気で起こる、というか男性であっても「選ばれるサイド」に立たされるっていう恐怖を味わせられるようになってきたから、これまで「選ばれない」ことについてなにも考えてこなかったし対応もとってこなかった男性陣は慌てて理論武装に取りかかっている ← いまここ

みたいに思ったんだけど、どうだろうね?

男性が非モテを社会的圧力などを問題として、一般論として語りたがるのは、そうでないと他の人、特に同じような興味を持っている男性に関心を持ってもらえない。でも、女性の場合はそこまで一般化しなくても経験を書くだけで共感されやすいから、一般化の必要がない、なんて構図なんだろうか。共感能力の問題?

男性が非モテを社会的圧力的な問題として語りたがるのは、まさに今まで語られたことのない新たに登場してきた社会的圧力にほかならないから。女性の非モテ話に一般化の必要がないのは、すでにそんなことはありきたりな既存の社会的圧力であって共有されている知識ベースが広いから。という仮説を立ててみますた。