訃報は http://d.hatena.ne.jp/deadman2/20050218/akiyama にあります。
アシパンとヘッヅとワイシャツとオレ
NNRがリリースした作品はテープが主*1で、CDはそのまとめ的なコンピレーション『Neural Network vol.1』が1枚だけと、同時期のインディテクノレーベルと比べてその意味では小さな存在でしたが、その時期からすでに連絡や告知のみならず作品の募集まで活動をすべてネット上で行い、また制作した作品をすべてウェブ上で公開する(現在アーカイブは閉鎖されていますが、一時的に復活されたりしませんか?>力武さん)という先進的な姿勢はいまでこそ評価されるべきものかもしれません。NNRからの弔文リリースを一部引用します。
秋山さんはNNRの基本的な考え方である「テクノ音楽の自由なネット上の配布」に賛同し,協力していただいたアーティストとの連絡やその作品の管理等の仕事を担当してくださいました.また,Acid Panda Musicやレオパルドンなど,その他の著名音楽プロジェクトにも参加し活発に活動されていました.
ご冥福を謹んでお祈りします.
NNRは、現在もその強烈な個性でナードコア*2シーンに君臨する「レオパルドン」の最初の12"を最後のリリースとしてリリースしたころから*3、秋山氏の活動は調布のクラブで定期的に開催していたテクノイベント「アシッドパンダ」を母体とするレーベル「Acid Panda Music」を主体に移る。下はその最新リリースであるレオパルドンの3rdアルバム。

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話は前後するが、イベント「アシッドパンダ」における初期レオパルの「秘密戦隊ゴレンジャー」や「電人ザボーガー」や「仮面ライダーアマゾン」をサンプリングしたライブは本当に衝撃的だった。また、現在は「R25」誌のスタッフとして活躍しているタッバタ氏が最初にDJをやってミキサーのツマミが取れてギョッとした顔をしてたのもアシパンじゃなかったっけ(あ、ダメツクバだっけ? って誰に訊いてるんだ、オレは)*4。ともあれ、こうしたイベントを通して新しい若い才能を発掘していった氏の活動は、間違いなく今のクラブミュージックシーンにつながっている。
アシパンのイベントは調布から吉祥寺をベースに移し、JEFF MILLSのインタビュー映像に出鱈目なテロップをかぶせたPVは多くのクラウドに衝撃を与えた。そのころの秋山氏の役回りはイベントやレーベルの主催者であり、なにより後継DJたちのよきお兄さんだったのだろうか、などとmixiにあげられた多くの弔文を読むにつけ、彼のいかにも面倒見のよさそうな気のいい笑顔を思い出しては思うのである。ラムダブラー(現ラムライダー)あたりからハードコアテクノシーンまで、「あのころ秋山氏にはずいぶん……」というひとは多かったのではないだろうか。
そのあたりの人のつながりは1996〜98年当時*5に隆盛を極めたヘッヅML(techno-heads mailing list)がベースとしてあることを忘れてはならず、秋山氏はその草創期メンバー創設者の一人でもあった*6。ヘッヅにはまだかなり熱っぽかったテクノ系のDJやイベントオーガナイザーやレーベル主宰者やミニコミ/e-zineの中のひとが多くコミットしていた。たとえば先述したレオパルドンやラムライダーらもそうであり、またバブルB(カラテクノ)のひとのこともヘッヅで知った。1996年当時のテクノ+ネットシーンのある記録が下記の日記にある。あのころから8年ですよ。
- 夢の競演(Fake Diary@boosted)
オレは2000年頃からテクノをあまり聴かなくなり、テクノ系のイベントにも足を運ばなくなり、アッキーと会うのはほんとたまにになってた。そういえば以前もクラブとかでワーとか挨拶するくらいであんまちゃんと話したことなかったかも、って思い出したよ。話しときゃよかったよ! ロクジェにも何度か遊びに来てくれた。ありがとうアッキー。調布から下北まで自転車で来たことがあったんじゃなかったかなあ。最近はロクジェのレジデントのrisakoとgreen.ってイベントを2回ほどやって、それは遊びに行ったな。あー、もうgreen.ってないんだ。なんだよ、それ! green.はいつも雨で、四日市のテクノゴッドことdj odaが動くと必ず嵐を呼ぶと言われたものでした。閑話休題。
著書があったのか。知らなかった。聞いたけど忘れてたのか。

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告別式日程(2005年2月20日)
上に書いたようなクラブ活動方面はmixiやヘッヅを中心に今日一日で訃報が回りまくったみたいなのでもう十分だと思うけど、そうじゃない方面で秋山氏のことをご存知の方がいれば、今日2/20が告別式だそうです。
><
告別式は、格別の青空でした。
いろいろなご指摘を受けていろいろ微妙に直しました
*1:「活動電位」シリーズを12本リリース [追記] Webにはvol.12までのデータしかありませんが、rikitakeさんプロデュースのvol.13まで出ているそうです。ご指摘いただいたので訂正します
*2:追記:記憶があやふやなんだけど「ナードコア」というジャンル名の立ち上がり時期、レオパルドンは確かにその「特攻隊長」的位置づけと目されていました。で、その記憶のままに勢いで筆を滑らせてしまいましたが、現在のレオパルドンはナードコアとは一線を画した活動をしています。正直すまんかった。次の2002年末のインタビューなどを参照→ http://japattack.com/japattack/music/leopaldoninterview_j.html
*3:NNRはレオパルドンの「電人EP」(オヤジの説教がちょうかっこいい)をリリース(1997年末に)した翌年にも「活動電位」を2本リリースしていました。APMからの最初のリリースであるレオパルドンの2ndシングル「猛犬EP」も1998年であり、つまり1998年がNNRからAMPへの移行期ということになるのでしょう
*4:追記。アシパンだったということが確認されました
*5:[追記] この年号はちと適当。ヘッヅの最盛期はいつだったのか、ということで年間ポスト数を数えたことがあったのだが、その数字がどっかいった! 出てきたら書き直します
*6:[追記] 秋山氏がfj.rec.musicにポストしていたテクノ関係の記事を読んだoda氏からのアプローチで話が盛り上がり、当時PP MLやRNP MLなどコアな音楽系MLの管理で名を馳せていた蛯原氏に依頼して作成された。ときに1994年9月7日