いろいろなソーシャルサービスでは、友人・知人、同じ趣味を持つ同士、その他の有名人などさまざまなひととつながるため「フォロー」や「友達」といった仕組みを用意している。
一方で、このひととは繋がりたくない、発言を見たくない、遠ざけておきたいといった目的のために「ミュート」や「ブロック」といった仕組みも用意されている。
こういった関係性をコントロールする仕組みは、ここ15年のSNSの発展とともにさまざまな試行錯誤によって整備されていて、おそらく誰もが直感的に理解できて歴史的にも定着している「ブロック」については多くのひとが知っているだろうけど、いま各サービスが定番として勧めたいのは「ミュート」のほうではないだろうか。
ミュートは、フォロー解除したりブロックしたりすることなく、特定のアカウントのツイートがタイムラインに表示されないようにできる機能です。
Twitterでアカウントをミュートする方法
検索すると「ミュートとブロックの違い」を解説したサイトもたくさんあるけれど、要するにそのひとの名前や投稿をできるだけ目にしなくてすむようにしたというだけのもので、ブロックに比べると完全に排除できるわけではなく、かなり弱い機能だ。
第三者のフォローをやめると、その投稿はニュースフィードに表示されなくなりますが、今までどおり友達のままです。
利用者、ページ、グループのフォローをやめるにはどうすればよいですか。 | Facebookヘルプセンター
フェイスブックでは「フォローをやめる」という表現をしている。フェイスブックの「フォロー」と「友達」の関係はちょっとややこしいんだけれど、要するに友達を切らないまま距離をおくことができる仕組み。
ツイッターの「ミュート」も同様で、フォローしたままで距離をおくことができる仕組みだと言えるだろう。
友達やフォローを切るというのはけっこう強い行為で、ブロックはそれに増して強い。機能としても強いし、メッセージとしても強い。お前とは関わりたくない、縁を切る、絶交だ、そういった局面で使われるべきであり、日常的な交友関係のなかでは強すぎるのではないかと思う。
このあたりいろいろと考え方があり、ミュートは完全に相手を排除できない代わりに、相手に知られることもない。それ故に、逆に自分が知らない間にミュートされているのではないかと疑心暗鬼になるくらいならミュートではなくブロックのみを利用すべきという意見もあるが、そうすると思い当たるフシもなくいきなり誰かにブロックされててやっぱり疑心暗鬼になるのではないだろうか……。
ここを議論していくとなかなか深いところに入っていきそうなので個人的な結論だけを書くけれど、ツイッターやフェイスブックのタイムラインやフィードは、自分が読みたいテキストや見てよかったと思えるコンテンツ、知らなかったけれど興味あるコンテキストなどが流れてくることに意味があり、そういうツールであると考える。
ソーシャルグラフそのものが交友関係とするなら、その上に構築された抽象化がひとつ高いレイヤーとして理解するべきで、交友関係そのもの、特定の友人とのしっかりとした交流をつないでおきたいのなら「いいね」とかハートとかではなく、それぞれのサービスのDMやLINEのようなパーソナルなツールのほうが適している。
その点で、ブロックは交友関係そのものに影響を与える機能で、ベースごと破壊する力を持っている。ミュートは、ベースとなる交友関係は保持したままで、その上の抽象化レイヤーに機能する。この点で異なっているとおもうだが、きっとこれはなかなかわかってもらえない。ひとの直感に、交友関係とツールのレイヤー分けがあるようにはおもえないからだ。
ただ、ソーシャルメディアというものはそういうレイヤーを前提とした世界観で構築されているように思えるので、ブロックではなくミュートを使ってはどうか? という潮流が浸透していかないことには、なかなか人類にソーシャルメディアを使いこなすことは難しいのではないのか。その意味で、友達を切らないでフィードを調整することが普通になってくれることを願っている。
さて、ミュートそのものの話が長くなったが、このエントリーで取り上げるのは、その先にある便利機能で、フェイスブックに導入されているフォローを一時休止するものだ。
利用者、ページ、グループのフォローを一時休止すると、相手からの投稿がニュースフィードに30日間表示されなくなります。フォローを一時休止された利用者、ページ、グループがこれについて知ることはありません。
利用者、ページ、グループのフォローを一時休止するにはどうすればよいですか。 | Facebookヘルプセンター
これは、友人がちょっとリアクションに困るような投稿を連投したり、自分が興味のない期間限定のイベントに熱狂してそれ関連の話しかしなくなってきたときに、しばらく距離をおいて相手の状況が収まるのを待つというツールなのかなと思っていた。
ところが、あるとき気づいたのだけど、この機能を使いたくなるときは、むしろ自分のマインドが弱まっていて、ふだんならスルーできるソーシャル上の投稿が、容易にスルーできなくなっていることから来るのではないだろうか。だから、これは相手が収まるのを待つ機能ではなくて、自分がまたいろいろな意見が受け入れられるようになるまで、しばらくサングラスをして刺激から神経をいたわるような効果が期待できる機能なのではないだろうか。
ひとは、ツイッターやフェイスブックに生々しい独白を吐き捨てたいものだが、一方で万人が吐き捨てた生々しい独白にどれだけ耐えられるかというと、ひとに寄るだろうか意外なツイートが刺さってメンブレしてしまうということはある。生のソーシャルメディアは刺激が強すぎる。何らかの敷居をもうけるツールがあるとよいのではないか。この「フォローを一時休止する」ことが有効に働くこともあるかもしれない。
ちなみに「ひとの直感に、交友関係とツールのレイヤー分けがあるようにはおもえない」ことに近い話を上記でも書いている。ソーシャルメディアは直感で使えるツールだけれど、使いこなすためには直感にはない概念を意識するように作られていて、なかなかに難しい。
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