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表参道で働くシニアのブログ

『科学化する仏教』読んだ

日本仏教の近代史を科学との関係にフォーカスして描いた一冊。明治大正期から、ほんとうについ最近の話まで取り上げられていて、とくに超能力ブームであったり「脳内革命」であったりオウム真理教の事件であったり、自分の体験としても知っている80年代以降の話題がどうしてもオカルトや疑似科学めいてくるのがおもしろい。

いや、むかしの話も十分に疑似科学っぽいのだけれど、生々しさが違うのだろうか。

悟りは科学できるのか? 現代人と宗教の危うい100年史

宗教体験の心理学、禅や祈祷の科学的解明、さらには催眠術、念写、透視の研究まで

ニューサイエンス、オウム真理教事件、そしてマインドフルネスの世界的流行へ――

対立と共存のダイナミズムに貫かれた百年史を、気鋭の近代仏教研究者が描き出す

科学化する仏教 瞑想と心身の近現代 碧海 寿広:一般書 | KADOKAWA

自分の興味は第4章にあって、やはりWebに関係した編集の仕事をしているとアメリカ西海岸的なインターネットの思想というのがごく自然な形でサービスの設計であったり、あるいはテクノロジーやエンジニアリングの文化に浸透していて「ゼン」といったワードが価値を持っていたりするわけだけど、それが60年代のヒッピー文化から来ていて、それが日本の鈴木大拙の著書や講演などに影響を受けたものであり、少し前に中国史のなかでも宋朝を扱った『中国思想と宗教の奔流』という本の感想を書いたけれど、日本の武家社会において文化的なバックボーンとなった禅が、日本からアメリカに輸出され、ITとともに逆輸入されているという課程がおもしろすぎると思ったのだった。

ただ、禅やマインドフルネスに興味があるといっても、自分でやりたいわけではなくって、普遍的なものとして受容している文化が実は歴史的に後付けされたものであるかもしれないし、その上に自分が立っているのならひっくり返したりしたいわけではないけれど、どこに立っているのは知っておきたいというかんじでこういう本を読んでいる。あとがきで「瞑想が好きな人間ではない」と書いていて、著者もなのかってちょっとおかしかった。

読みたい

日本人はなぜ無宗教なのか (ちくま新書)

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東京ブギウギと鈴木大拙

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