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表参道で働くシニアのブログ

『倍音』読んだ

尺八奏者、中村明一(なかむら・あきかず)さんの『倍音』を読んだ。

倍音 音・ことば・身体の文化誌

倍音 音・ことば・身体の文化誌

サブタイトルに「音」だけでなく「ことば」「身体」「文化」とあるように、音を中心して日本人の身体(からだ)に染み込んだ音楽的・音声的な特質を明らかにする本で、音楽だけでなく、芸論、日本の環境と日本人の身体、コミュニケーションなど、音を起点に幅広く議論されているが、自分が興味のある「日本人にとって音楽とは何か?」を考える上でとても示唆に富む内容だった。

本書では「整数次倍音」と「非整数次倍音」という言葉を対比させて論は進んでいくのだが、そもそも「倍音」というのは、ある音の倍、3倍、4倍……と整数倍の周波数の音を指すのであって、本来的な意味では「整数次倍音」のみを「倍音」というはずである。

本来的ではない、西洋音楽の考え方でいうなら雑音のもとになるともいえる非整数次(non-integer?)な倍音を、通常の倍音と同じように評価し、それをあわせた「音響」すべてを音楽として考えようというところに面白さがあった。この言葉、あまり他では聞かないようにおもうのだが、著者の独創なのだろうか?

工学部卒という経歴からか、前半の概論で「音子」という概念を導入し、音を要素にわけて考えているのがおもしろい。音を成立させる「音量」「音高」「時間的位置(長さ)」を持ちつつ「長さが非常に短い、最も単純な音の素」が音子であり、ふつうに話し声であるとか、楽器でもなんでも何か音が鳴るときには、基底となる1つの音子(基音)だけでなく倍音がいくつも付随する。それをあわせた「音質」あるいは音色に注目する。

西洋音楽と日本人の音楽的な特性との対比において、それぞれの「楽譜」から音楽の構成要素の優先度を考えるくだりがおもしろかった。西洋音楽の五線譜は、縦軸に音高、横軸が時間的な経過を表す二次元グラフになっている。言われてみれば非常に明快というか、科学的な図表だ。

これに対して、日本の伝統音楽の「楽譜」と言われるものは、なんだかよくわからない暗号のような形をしているけど、これは音高や長さではなく、どのような音質・音色を奏でるかを重視していたためだという。

たとえば、尺八の楽譜は、基本的に指使いを記したものです。そして、異なる指使いでも、すなわち楽譜の上では違う文字・記号で記されていても、五線譜に書くと同じ音、という場合があります。なぜなら、音高(厳密に言えば基音)はおなじでも音質すなわち倍音構造の異なる音を、異なる指使いによって出すからです。

このような楽譜を「複雑系」と表現しているのも面白かった。これに続けて、次の説明がひとつの核になるなとおもったのだが

日本人にとっては、「この音高で奏でる」ということよりも「この音質(倍音構造)で奏でる」ということの方が、より重要だったのです。

この「基音が同じであっても倍音構造が異なるなら → 違う音」という感覚を強く持つということをこの本ではさまざまな面から問いている。例えば日本語の同音異義語の使い分けを、従来は音高のイントネーションで区別していると思われているが、付加する倍音構造を変えることで「傘の柄」と「傘の絵」を発音し分けていて、まわ聞く方もその音質の違いを聞き分けて意味を理解するのだという。

つまり音質(あるいは音響)そのものに意味があり、それが不可分であるために、オペラのような唱法では感情が込められていると感じられないという話もあるし、おそらくこの本で最も有名な話は、タモリと黒柳徹子がなぜ司会者として成功したのか? だろう。タモリ自身が徹子の部屋で語っていたこともあり、このエピソードだけがいろいろなまとめサイトにもあがっているが、要は彼らの声は整数次倍音が強く構成されているので……という話である。そのほか、漫才コンビのボケとツッコミはそれぞれどういう倍音構成の声質がよいかといった話もある。

そのあたりのエピソードは楽しいが、本書の意義は、西洋音楽的に「音高」と「長さ」からなるものではなく、音とは「音質(倍音構造)」のことであり、日本人はおそらくその音質の違いを聞き分けることを音に求めていた。つまり、ナチュラル・ボーン・音響派 であるとすら言える指摘が、ぼくにはとてもおもしろかった。

これまで読んだことのある日本の音楽論では、まず「ヨナ抜き」の音階が好まれるメロディ、そして強弱や「ウラ」などのアクセントによるビート感が欠如しているだけでなく等拍ですらない「間」のリズム、が語られてきたが、この本では音色、音響、ハーモニーといったものが語られていて、いわゆる音楽の三要素がそろったので読んでよかったなとおもう。

虚無僧尺八の世界 京都の尺八I 虚空

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