1976年に「季刊論叢 日本文化」第一期の6冊目として角川書店から刊行されたもの*1。千代田区立千代田図書館の江戸・東京コーナーで見かけて速攻で借りた。
江戸の成り立ちについては鈴木理生氏の一連の著作がとても面白いのだが、本書は鈴木氏とはあるところで見解を異にしながらも、江戸開府をラディカルに描いている。吟味した史料を元に描かれる徳川家康の後半正記は歴史物語として読んでも面白かったし、やはり何より天正十八年家康の関東入府にピンポイントで焦点をあてているのも嬉しい。
- 作者: 水江漣子
- 出版社/メーカー: 角川書店
- 発売日: 1992/05
- メディア: 単行本
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なぜ関東か
まず、家康の関東入りについては、小田原攻めのついでに家康を連れ小便にさそった秀吉が、あの城が落ちたら向こうをあげるなんて甘言で家康の地盤である三河遠江駿河を取り上げ、関東のド田舎に押し込んでしまった(しかし「人生重き荷」な家康はそんな仕打ちにも耐えて、江戸という葦原ばかりで何もない寒村を恵まれた地相を活かした霊的に守護された大都市へと変貌させたのだ)、というのが定説というか一般的にはそう言われている。
一方、本書では主に「関東」という土地の重要性を説き、信長・秀吉・家康がそれぞれ「関東」に対してどのような思いを抱いていたのかを軸に論を展開する。つまり家康には、上洛志向が強くて関東には関心のなかった信長・秀吉とは逆に、以前から東への興味があり、そういった家康の志向と、関東の運営という大役を任せられるナンバーツーは家康以外にいないという秀吉の判断(またできれば家康を京都政権から遠ざけたい三成ら側近の意思)が合致したものとしてとらえている。
ここで浮かび上がってくるのは「関東」という土地の特殊性。坂東武者が割拠し、隙あらば京都政権に対して反乱を起こし、朝廷支配から独立しようという荒らぶる関東という土地を、どのように支配すればよいのかというパワーポリティクスの世界である。
ただし、鈴木氏との見解の相違だが、鈴木氏は家康は江戸に本拠地を置きながら、自身は伏見や二条城で政治にあたることが多く、また隠居してからも駿府に居を構えた家康自身には強い上方思考があり、関東にはそれほど興味がなかったとしている。そもそも本書は駿府時代の家康の描写がそれまでに比べて少ないように感じるのが残念でもある。
なぜ江戸か
前述したように、家康以前の江戸は、一般的には何もない葦原ばかりの寒村だったと考えられている。しかし、鈴木氏の『江戸と江戸城 (1975年)』や『幻の江戸百年 (ちくまライブラリー)』などで描かれている江戸の姿はそれとはまったく違っており、江戸はそのときすでに入間・利根水系を舞台にした水運の基地であり、モノと人の集積地であったのだという。
その江戸を、景勝の地であり
小田原や鎌倉には見られない舟入をもっているため、これより万事栄えていくに違いない
と家康に勧めたのは秀吉だという。しかし、これは以前から堺とつながりの深い経済通の秀吉ならではの意見だとも取れるし、一方ではそのような甘言で家康を騙して天険の地である小田原に居を構えさせないようにしようという謀略だという意見もある。
本書では、戦国が終わりに近づき戦法も領国経営のあり方も変わってきた情勢に鑑み、天険の地である小田原や鎌倉よりも、水運に利のある江戸を取るのは
たとえ秀吉の介入がなかったとしてもむしろ自然すぎるほどであろう。
としているが、はたして物流の拠点としての江戸をほんとうに評価したのは秀吉なのか家康なのか。その思惑は関東領国内に限るものか、それとも全国物流を考えてのものか。大坂の湊には秀吉がいて江戸の湊には家康がいるというように東西に物流の拠点を置くのは偶然か意図的なものか。江戸への興味は尽きない。
江戸はこうして造られた―幻の百年を復原する (ちくま学芸文庫)
- 作者: 鈴木理生
- 出版社/メーカー: 筑摩書房
- 発売日: 2000/01/01
- メディア: 文庫
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なお「なぜ江戸か」については、そのまんまのタイトルの本も出てる。これも読んでみたい。
- 作者: 岡野友彦
- 出版社/メーカー: 教育出版
- 発売日: 1999/09/01
- メディア: 単行本
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*1:下に貼ったAmazonのリンクは副題と刊行年が違うのだが、タイトルからして同じ本の再刊だとおもうのだがどうだろう