2020年もいろいろな展示を見た。春の緊急事態宣言では美術館も博物館も全国で軒並み休館になってしまって、展示日程も早期終了になったり延期になったりとたいへんだった。ステイホームもあったので月によってかなりバラツキがあるけれど、トータルで140くらいの展示を見てたようだ。ならすと月に12展示ほどだからかなりいいペースなのではないだろうか。
1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 |
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13 | 18 | 7 | 0 | 0 | 13 | 5 | 19 | 18 | 14 | 11 | 23 |
こんなに数が多いのは、行けるうちに少しでも現場に通っておこうという渇望感があったからだが、ちょっとガツガツしすぎてたという気もしないではない。今年は何がなんでも行ける展示はすべて行くのではなく、すこしペースを抑えてひとつひとつをしっかりと鑑賞したい。
感想記事だって、こんなふうにいくつもの展覧会を後でまとめるのではなく、見た記録だけでもよいからできるだけリアルタイムで書いておきたい。とはいえ去年も同じことを念頭にもたしか書いているが、実現できなかった。今年もすでに年明けからの積み残しが2つある。
まあ、それはともかくひとまず2020年12月の記録を残しておきます(かなり多くなったのでまず1/3だけ)。
- 生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代
- 河鍋暁斎の底力
- 分離派建築会100年展
- TOKYO☆VOCA
- STARS展:現代美術のスターたち 日本から世界へ
- 生きている東京展 アイラブアート15
- 上田薫
- スクリプカリウ落合安奈:Blessing beyond the borders
生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代
初台のオペラシティアートギャラリーで12月20日まで開催されていた写真展。
生誕100年 石元泰博写真展 伝統と近代|東京オペラシティアートギャラリー
ここは2フロアの会場で、ふだん3階が企画展、4階は収蔵品展と新人展になっているが、この展示ではまずを4階に上がれと言われる。収蔵品展の会場もあわせて企画展ということはこれまでもあったが、いつもと逆回りに新人展の会場を抜けたところに企画展の看板があり、東京都写真美術館の展示にも出ていたシカゴのスタイリッシュな写真などが並んでいる。
ひと回りして下のフロアに降りてきて、全体の四分の三あたりまで見たときになぜこういうフロア構成になっていたのかがわかった。展示の最後に巨大な組み写真が待ち受けていたのだ。京都の東寺にある国宝《伝真言院曼荼羅》を接写拡大したシリーズが吹き抜けの高い壁いっぱいを使ってまさに曼荼羅のようにかけられている。圧倒されてしまった。
そして最後に伊勢神宮。写真展に来たつもりが伝統絵画と建築に圧倒されて帰ることになった。
河鍋暁斎の底力
河鍋暁斎の子孫が運営する河鍋暁斎記念美術館が所蔵する素描、下絵、画稿、席画、絵手本といった本画以外で構成された企画展。東京ステーションギャラリーで、前期が12月27日まで。今週末(2月7日)まで後期が開催されている。
下絵が目玉のようで、たしかに興味深いものだったけれど、ふつうに席画(宴席などにおいて即興で描かれた作品)が魅力的すぎて、それだけでも楽しかった。席画のほとんどが前期後期で展示替えになるようなのでできれば後期もとおもっていたけれどステイホームしているのでちょっと難しそう。
分離派建築会100年展
分離派建築会とは、19世紀末のドイツやオーストリアにおいて伝統からの脱却を目指した芸術運動である分離派(セセッション)の名前を借りて、1920年に東京帝国大学の建築学科を卒業したばかりの若き6人の建築家によって結成された日本で最初の建築運動。1923年の関東大震災とその復興事業をはさんで1930年代まで10余年の活動を設計図や模型、写真その他の資料で振り返る展示が12月15日まで、パナソニック汐留美術館で開催されていました。
瀧澤眞弓「山の家」の模型はたしか、実現不可能な建築計画を集めた「インポッシブル・アーキテクチャー」展にも出てた。このファンタジックな遊具のようですらある形状はかなり好きです。
TOKYO☆VOCA
VOCA(The Vision of Contemporary Art)は平面作品を対象とした現代美術館展で、上野の森美術館で毎春開催されている。その受賞作品の一部を第一生命が企業メセナの一環として購入しているそうです。本社ビルのホールで展示されているのを近くに寄ったついでに見てきました。
第一生命ロビー│社会貢献活動:美術・音楽・スポーツ│第一生命保険株式会社
ふつうに丸の内の大きなビルのロビーに現代美術が飾ってあるんですが、ここに勤めているひとは毎朝これを見ているんだなとおもうとなんか不思議なかんじになります。
すごく緻密にさまざな素材が重ねられていてきらびやかなこの作品がよかったです。
STARS展:現代美術のスターたち 日本から世界へ
森美術館の大型企画で、コロナ禍でさえなければインバウンドな外国人観光客で賑わっていたに違いない展示ですが、いくぶんゆっくりと見られたのは客としてはよかったけれど、長期的に考えるとよくないんだろうなあ。正月休み返上で1月3日まで、緊急事態宣言前なので夜間開館でした。
展示の順路としては、村上隆、李禹煥、草間彌生、宮島達男、奈良美智、杉本博司の順で、一人ずつ部屋が分かれている。
まず村上隆。くっそデカくてバカに明るい壁画に、迫力ある阿吽像。
足元の邪鬼がよい。
李禹煥(リ・ウファン)の部屋は玉砂利が敷かれていて枯山水の庭のような雰囲気がありました。
奈良美智の立体作品。これどうやって搬入したんだろう。
この「家」の中はこうなってます。
杉本博司が「江之浦測候所」を題材に撮った映画がよかったです。インスタから雰囲気だけ。
無限の空間を実感できる草間彌生《信濃の灯》は撮影不可だったのでこれもインスタで。
生きている東京展 アイラブアート15
東京は青山で開館30年になるワタリウム美術館が、所蔵作品を中心にこの美術館が立つ東京という場所を再考する展示。記念展のようなものかなとおもいました。9月から、年明けこの1月31日まで開催されていました。
SIDE CORE(EVERYDAY HOLIDAY SQUAD)による立体作品。ほかにツイッターなどにあがってる写真を見ると置いてある看板の個数が違うんですが、持ち帰ったひとがいるってことでしょうか? どう保管してるんだろう?
ワタリウムの吹き抜け空間を生かした展示がおもしろかった。
3階から見てます。
見下ろすとこんなかんじ。
ナムジュン・パイクによる1993年の作品《時は三角形》。たくさんの液晶ディスプレイで動画が再生されていたけど、厚みから見ても当時はブラウン管が並んでたんだろう。ラウン管と液晶ディスプレイでは、作品の質感がかなり違う。液晶ディスプレイがたくさん並んでるのも今やデジタルサイネージとして普通なので、映されている映像だけを見てしまうけれど、ブラウン管がたくさん並んでると発熱もすごいだろうし、故障も多そうだし、表示されていること自体に「めっちゃ頑張ってる」感というか、技術の限界への挑戦がある。
同じ線路を走っていても電車と蒸気機関車ではエモさが違うようなものであり、それだからブラウン管や蒸気機関にはスチームパンクという特別な美的感覚がついてくるのだろう。たしか原美術館のナムジュン・パイク作品は、ブラウン管が壊れているのでもう映りませんという状態のままで置かれていて、それもひとつのあり方だろうと思う。
アナログな機械技術や電気技術を最新の電子機器などを置き換えてしまうことで作品は生き延びるのかそれとも変質するのか? 難しい問題をはらんでいるようにも思えた。
上田薫
まるで写真のような生卵やアイスクリームなどのスーパーリアリズム絵画で知られる上田薫の回顧展。昨年9月から横須賀美術館で開催されていて、11月から埼玉県立近代美術館に巡回してきていた。1月11日までの予定だったけれど緊急事態宣言を受けて少し早く終了してしまっていた。
写真のようなというか、まさに撮影した写真をもとに書いているのだけれど、水滴などでカメラを構えて被写体を撮影している画家自身が写り込んでいて、それを写り込んだままに書いているのがおもしろかった。
また、カメラで撮影すると当然だけどピントが合っていないところができるのをピンぼけのままに書いている。伝統的に絵画で「ピンが来てない」なんてことはありえない。遠すぎて見えないということはあるにせよ、人は見ようとするとそこにピントを合わせる。絵画では遠近法が使われているにせよ、遠景にも近景もピントとしては合っているはず。
ピントがあってない画像というものを、おそらく人は写真という技術によってはじめて直視することになったのではないか。少なくともクールベが主張したリアリスムや、円山応挙が言う写実とはそういったものではないのではないか。存在する形と見える形。リアルなんはどっちだ。
スクリプカリウ落合安奈:Blessing beyond the borders
上田薫展と同時にコレクション展の会場で開催されていた、文化人類学的なフィールドワークをもとにした作品を発表してるスクリプカリウ落合安奈の小規模な展示。
アーティスト・プロジェクト#2.05 スクリプカリウ落合安奈 - 埼玉県立近代美術館
映像作品とインスタレーションがあり、どちらも連れて行かれるかんじがする展示だった。
《越境する祝福》と第されたインスタレーションは、さざえ堂的な構造になった一方通行の通路をぐるぐる歩いていくのだけれど、ただ入って出ていくだけだとよくわからないものが、なんどかゆっくり時間をかけて場所として滞在してみるとそれだけのインプットがある展示だった。
ということで長くなってしまうのでひとまずここまでの8展示で区切ります。続きはあらためて。