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表参道で働くシニアのブログ

電線とヒコーキ

練馬区立美術館で4月18日まで開催されている「電線絵画展」を見てきた。

「電線絵画展-小林清親から山口晃まで-」 | 展覧会 | 練馬区立美術館

いろいろな電線や電柱を描いた作品が並んでたけど、いろんなひとが実は電柱を描いてたんだなという視点をさらに広げて、だれが電線を書かなかったのか、つまりこの展示に出てないジャンルは何だろう? と考えるのが楽しかった。

明治期の浮世絵や新版画も出ていたし、洋画もあった。岸田劉生の切通しには電柱が立っており、高橋由一《山形市街図》は以前に静岡の「めがねと旅する美術展」でとても長らく眺めていたのだけれど、電柱と電線が描かれていたのはそのとき気が付かなかった。

見かけなかったのは近代日本画で、考えてみれば竹内栖鳳や川合玉堂が書く日本の山水に電線が架かっていたら台無しだろうし、鏑木清方の美人画の背景に電柱は似合わない。つまり近代日本画というものは現実を描かないことを選択したジャンルと言えるのではないか。もっとも、同じ日本画家でも河鍋暁斎は電柱を描いていた。さすがだ。

その視点は会場にもあり、同じような場所を描いた川瀬巴水の版画には電線があり、吉田博のほうにはない。吉田博は東京都美術館での没後70年展を見たとき、瀬戸内海だったり東京湾だったりという日本の風景のはずなのにどこか外国風でモダンな印象が強くあったのは、そういった工夫がされていたことによる効果なのかもしれない。

電線と景観といえば、北斎の赤富士の手前に電柱と架線のシルエットを配した一般社団法人無電柱化民間プロジェクト実行委員会の啓発イラストが思い浮かぶが、もし北斎が明治を生きていたら、今回の展示に出てた山口晃の漫画でもたしか言及されていたとおもうけれど、おそらく電柱を書くほうの人だったのではないか。

だから無電柱化イラストはそもそも人選を間違っている。同じ富士山なら、戦時中に横山大観が国威発揚で書きまくった富士山にこそ、電柱と電線がよく似合う(啓発イラスト的な意味で)。

練馬区立美術館の電線絵画展

もうひとつ、電線絵画を近代化される日本の現実を集めた展示として見るときに、時代によって変遷があることにも気づいた。明治期はやはり文明開化の象徴であり、近代都市としての東京を表現するのに欠かせない舞台装置というところがある。昭和にはいってくると、電線にもはや未来を感じることはなく、日常の風景となっている。現代作家が描く電線はどこか懐かしい高度経済成長の残滓とノスタルジアがあった。

最近のアニメや漫画では電柱や電線を積極的に描き、また前述の無電柱化啓発イラストについネガティブなリアクションをしてしまうのも、映画『三丁目の夕日』的なノスタルジーと表裏一体であり、電柱や電線が象徴する近代技術とともに歩んできた自分たちを肯定したいところは何かしらあるのかもしれない。

横須賀美術館

ところで、同時期に横須賀美術館で開催されていた飛行機の絵画を集めた展示は、そういう近代化を象徴する技術の負の部分を凝縮したようでもあった。

ヒコーキと美術 - 横須賀美術館

なぜなら飛行機といってもそのほとんどが軍用機。つまり戦争画の展示であり、そしてそれぞれが、国威発揚を目的とするので当たり前ではあるが、とても格好良く描かれている。川端龍子《香炉峰》など実によい。戦時ポスターにおける戦闘機の扱われ方にもそれが見られた。

横須賀美術館からの眺望

天気のよい日の横須賀美術館は風光明媚ですばらしい。ただ、やはり遠いな。