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表参道で働くシニアのブログ

モーニング娘。史上、最もエースらしからぬ大エース・佐藤優樹が歌って踊るアイドルの世界に残したものは

モーニング娘。から佐藤優樹(まーちゃん)が卒業する。2011年秋に12歳で加入して10年。多くのファンやメンバーに惜しまれながら、2021年で唯一のモーニング娘。単独コンサート、12.13武道館がラストステージとなる。

卒業の経緯や、そもそも佐藤優樹がどういう人物なのかは、ピロスエ@prseさんによるリアルサウンドの記事が詳しいのでぜひ読んでほしい。

モーニング娘。’21 佐藤優樹、ハロプロNo.1人気メンバー卒業の衝撃 不思議キャラ&エース的存在感で牽引 - Real Sound

この記事でもそうだけど、まーちゃんといえば、パフォーマンスとキャラクターのギャップの大きさがいつも話題になる。テレビでまれに喋ってるところを目にしたことがある方は、自由奔放で天真爛漫な発言で記憶されているかもしれない。

そういう強烈なキャラクター抜きに佐藤優樹を語るわけにはいかないだろうけど、この記事ではあえてパフォーマンスだけを考えてみたい。思い起こせば、押しも押されもせぬ大エースとして活躍した鞘師里保が2015年に卒業し、次を担うのは誰か? という中からまーちゃんがスルスルっと抜け出していった。ピロスエさんの記事にもこうある。

佐藤の才能は音楽方面でも開花。ライブ歌唱時などでの表現力の豊かさがファンの間で高く評価されるようになる。

この佐藤優樹の「表現力」と言われるものがいったい何なのか、ずっと気になっているのだ。

それはただ歌が上手いとかキレキレのダンスとか、そういうスキルが高いだけではないのか? 表現力があるとアイドルはどうなるのか? まーちゃんだけが持っているものなのか? 気になる。

だから、卒業までに誰か詳しく解説してくれないかと思っていたのだけど、そういう記事を見つけられなかった。何しろメンバーですら抽象的にしか語ってくれていない。モーニング娘。小田さくらのブログもこういったかんじだった。

モーニング娘。としてとても頼もしい魅力の1つに、これからは頼らずに頑張っていかなきゃいけないんだな

この「とても頼もしい魅力」とは何なのか? どんな魅力なのか? 佐藤優樹にしか表現し得ないものなのか? とても気になっている。

インターネットで本当のことを知るために最も効率的な手段は「ドヤ顔で間違ったことを書く」ことだとされている。だから、ここで私が思い込みベースの佐藤優樹論を展開してみると、ちゃんとモノを知ってる人がいいカンジに正してくれるんじゃないかと期待して書いていきます。

necessaryとTikTokの佐藤優樹

佐藤優樹のパフォーマンスの魅力としてよく言われる1つが「音ハメ」で、フリーな動きがビートのブレイクにピッタリ合っててめっちゃ気持ちいいのだ(たぶんダンス方面の用語だろうけど、本来の意味もこれで合ってるのだろうか?)

まーちゃんの音ハメとしてまず上げられるのが「What is LOVE?」という曲の「is it necessary?」パート。次の動画の1番サビ前の「ネセサリ!」では最後の「リ」で首をかしげる仕草がアイドルっぽくて実に可愛い。

ただ、まーちゃん独特の魅力としては2番の同じパートでの表現の方が強くて、指でピストルの形を作って「ネセサリ」で左右正面と構えた後、次のサビ「♪たったひとりを」に入る前のブレイクのタイミングでBAN!と打つ真似をする。この動きとブレイクがハマっていてなかなか気持ちよい。

さらにこのパートはフリーなのか、コンサートごとにブレイクで違ったポーズを取っている。回数を重ねるごとに仕草も凝ってくるし、タイミングもいっそうハマってくる。「佐藤優樹 necessary」でYouTubeを検索するとまとめ動画が出てくるし、ブログで解説している方もいる。

とにかく毎回のブレイクが独創で、今日はどんなポーズだろうかと楽しみになる。これまで見た中でかっこよかったのは、やはり手でピストルの形を作って、ブレイクで自分の頭をパンッと撃つふりをする。これはドキッとした。ロックだった。

ロックと言えばROCK IN JAPAN FESTIVALのステージでは、この短いブレイクの間にクルッと1回転してそのまま次のサビのダンスに入っていくのがとてもかっこよくて、気持ちがいい。

最近では、TikTokでT-STONE「Let's Get Eat」の音ハメ動画も話題になっていた。

@morningmusume_uf ♬ Let's Get Eat (feat. KOTETSU) - T-STONE

この動画でも最後の「Bang Bang」でピストルを撃つふりをするが、音ハメとして気持ちいいのは前半にある「神様どうもです(カッチャ)」の「カッチャ」のところ。

ピストルの撃鉄を起こすイメージの手付きをしつつ、口を少し歪めてちょっと片目だけつむる。ずっと笑顔なんだけれど、このブレイクでだけ不穏な表情になるので、撃つ準備の仕草が本気のようにも見える。しかしその後またすぐ笑顔に戻るし、実際に撃つ仕草も冗談めかしている。

この「カッチャ」で見せたちょっとした不穏さが、実に後に残る。「あれは何だったのか?」と、人の認知をグラっとさせる仕草。それが佐藤優樹の表現力の一端なのではないか。

そして、そういう動きをいろいろな曲の各所で織り込んでくるようになった。コンサート中、まーちゃんから目が離せない。ちょっと見てないと何かやってる。別のメンバーを見てたはずなのに、つい佐藤優樹に目を奪われてしまった。などなど言われる所以でもある。

気まぐれプリンセスな佐藤優樹

佐藤優樹のパフォーマンスのもう1つの魅力として言われるのが「エロシー」というやつで、先のピロスエさんの記事に詳しく解説されている。

このエロシーという言葉は、元々は佐藤が2017年のブログで鈴木愛理のセクシーかつエロティックなパフォーマンスについて表現した造語だったのだが、それがいつしか佐藤自体のパフォーマンスを指す用語になっていった。

佐藤のエロシー的なライブパフォーマンスをひとつ挙げると、モーニング娘。’17の秋ツアー『We are MORNING MUSUME。』での「気まぐれプリンセス」。曲の最初にステージの階段部分に座って歌い始める箇所や、曲終盤での〈いいじゃない ちょいエロ涙〉などが見どころだ。

この秋ツアーの「気まぐれプリンセス」は公式の動画で見ることができる。

やはり冒頭でいきなり座って歌い始めたのはビックリしたけれど、それよりスゴいとおもったのはフレーズごとの表情の切り替えだ。冒頭でモーニングにしてはかなり長いソロパートを割り当てられているけれど、ここで大きく次の3つの情報が与えられる歌詞になっている。

  1. 気まぐれ美人
  2. どこかのお姫
  3. イライラしてる

まーちゃんは冒頭でまずふつうにおすましして美人さんという風情から、少しにこやかにプリンセスみを見せたかとおもうと、イライラしてプイっと立ち上がってどこかに行ってしまう。ひとつのフレーズの中にストーリーがある。

さらにツアーが進むと座り方も変えてきて「どこかのお姫」で手を振ってみせたり。同じパートを決して同じようには演じない。常にアップデートしていく。才能やひらめきだけではなく、練習して試して改善していく。

他にも「純情エビデンス」の最後の「可愛いでしょう」のパートでも、毎回のように違った仕草を試していて、これまた歌い終わったあとのブレイクで次への動作にかかるまで一連の仕草で魅せる。

基本的には「可愛い」という歌詞に合わせて微笑むだけ、しかもとくにダンスするわけでもなく、奥からスタスタと歩いてきて「可愛いでしょう」とつぶやいてまた下がっていく。それだけの動作なのだが、最初からニヤッとしているとき、途中でニコッとするとき、最後の最後でようやく微笑するときなどさまざまで、目線と表情の切り替えがエグい。

Love Musicでのスタジオライブでは、上手から「可愛いでしょう」フレームインしてきて、口元は微笑んでいるが目線は外したまま、歌い終わってようやくカメラを一瞥(べつ)するが、すぐ目をそらす。すべてがビートに合っている。指を口に当ててカメラに近づけつつ、自分自身は右へとフレームアウトしていく。曲はエンディングのダンスに突入していく。佐藤優樹が消え指だけが残る。

佐藤優樹から始まる無限の可能性

佐藤優樹がやってきたこと、ステージの上で魅せてきたものは、下手であっては決してできないことだ。踊れて歌えて、何よりリズム感があって、初めて成立する。歌えるだけではだめで、どう歌うべきかを考えて、ちゃんと尺に収まるよう体を動かす必要がある。

そして客にただ「上手い!」とだけ感じさせるようなものではない。上手くなければできないことをやっているのだから上手いに決まっているのだが、それを感じさせないで、ハッとさせたり、高揚させたり、不穏にさせたり、オーディエンスにさまざまな感情を起こさせるパフォーマンスをする。

こんな佐藤優樹に対して、小田さくらは先に引用したブログでこう言っている。

佐藤さんを追いかけてきたように感じるかもしれませんが…
どちらかと言うと、自分の中では途中から『逃げる』みたいな気持ちでした…
同じ土俵に立たないように、、、
別の表彰台でいつでも1位に座っていられるように

小田さくらはなりの謙遜と自負が入り混じった言い方になっているが、つまり「同じことはしない」が、同じレベルのパフォーマンスは魅せてやるという気持ちが現れているように読める。同じ表現はしない。別の魅せ方を探る。そういうことだ。

3年前に、アイドルの「上手/下手」と「いい/悪い」は関係がないという話について書いた。

「私、上手いでしょ」って歌うから、小田さくらはかわいい ― アイドルの「いい上手さ」について

このとき思い描いていたのは、上手下手の軸と、いい悪いの軸によるただのマトリックスで、アイドルのパフォーマンスはたった4つの世界に分けられていた。

吉田豪さんはアイドルの歌に「いい上手さ」「悪い上手さ」「いい下手さ」「悪い下手さ」があると言っていて、この対談では主に「いい下手さ」について語られている ...

それでは、アイドルにとって「いい上手さ」とはどういうものだろう?

つまりアイドルには4タイプがあり、上手くても下手でも「いいものはいい」という風潮の中、スキルを重視するハロープロジェクトのあり方をどう位置づければよいのかを考えていた。

それから3年が経って、いま言えるのは「いい上手さ」はひとつではなかったということだ。

佐藤優樹が示したことは、歌とダンスというスキルの向上、その目標にしやすく、努力による成果が見えやすく、客観的にも成長が分かりやすい指標の先に、アイドルとしての無限の可能性、その人なりの表現がありうるという世界観である。努力の先に個性が花開き、魅力がさらに磨かれる。

このコロナ禍でハロープロジェクトは、メンバー個々人がソロでバラード曲をカバーするツアーを組んだり、ソロのパフォーマンスを競い合ったりした。これによって、佐藤優樹が試していたことの真意が共有され、同じ課題感をもって各メンバーそれぞれの挑戦に取り組んでいるように見える。

ほかにもAKB48の村山彩希さんのツイートや、(元)たこやきレインボーの春名真依さんのインスタなど、佐藤優樹のパフォーマンスに言及するアイドルがいるように、ハロープロジェクトに限ったことでもなくなっているのかもしれない。

女子アイドルたるもの曲の頭から最後まで「全力」のパフォーマンスを旨とすべきという方には、佐藤優樹のメリハリを効かせたパフォーマンスに眉をひそめる向きもあるかもしれない。本来は可愛くあるべき女の子が、容姿にとらわれず全力でパフォーマンスをすることが新しい価値観になった時代は確かにあった。

そして今や「全力パフォーマンス」の次の時代が来ているのではないか。ずっと全力でなくてよい。むしろ、できれば上手にパフォーマンスするべきだ。しかしただ上手いだけではいけない。目指したい表現の方向に、自分が最も輝けるパフォーマンスを目指して、誰もがスキルを磨いていく時代が訪れている……のかなあ。冒頭に書いたようにもっと詳しい人のツッコミをお待ちします。

真に型破りなアイドルとして

最後にちょい畑違いな引用で終わろうと思う。立川談志の言葉だ(出典は立川談春『赤めだか』)。

型ができていない者が芝居をすると型なしになる。メチャクチャだ。型がしっかりした奴がオリジナリティを押し出せば型破りになれる。どうだ、わかるか?

佐藤優樹は、長いハロープロジェクトの歴史の中でも初めての型破りなアイドルだと言える。そしておそらく、世の女性アイドルの中でも、まーちゃんほど型破りな人はいなかったのではないか。それは彼女の天真爛漫すぎる破天荒なキャラクターによるものではなく、研鑽と試行錯誤の先に誰にも敵わない彼女にしかできないパフォーマンスを魅せたということにおいて。

おまけ

この記事に入れたかったけど入らなかったこと。

  • 歌唱の表現力
    • ソデで控えてるメンバーも泣いたバラッドツアーの「僕は君に恋をする」カバー
    • 「あいされたあああああい」の変遷
  • おだんご(小田さくら)との関係
    • 毎日ヤッホータイさんにある「佐藤優樹さんのダンスの覚え方」のエピソードがまるで文字通り絵に書いたような「漫画に出てくる天才と秀才ですか?」って感じだし
    • 実際に漫画になぞらえて、しかも小田さくら本人が語っているのは面白すぎた