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表参道で働くシニアのブログ

祇園祭の京都で《祇園祭礼図巻》を見る。埋もれた絵師「横山華山」展、再訪

正しくは8月にはいっていたので祇園祭は終わってしまっていたけれど、夏のちょうどこの時期にあわせて京都に巡回してた「横山華山」展を京都文化博物館で見た。

横山華山展 | 京都府京都文化博物館

祇園祭2019 日程表 | 京都観光情報 KYOTOdesign

横山華山は去年の秋に東京ステーションギャラリーでやってたときに前期・後期と2回見てて、そのときには見どころがよくつかめてない曖昧な鑑賞をしており、ダイアリーにもこんなことを書いている。

良かったような、よくわからなかったような……作品が大きく変わるようなので後期また行く。あと東京には20作品くらいでないのがあるようなので、京都でタイミング合わせたい。

https://mohritaroh.hateblo.jp/entry/20180929

渡邊省亭、小原古邨、横山華山と見てきて、近世以降の日本で大衆受けというかただ上手でよく売れたけれどとくに革新者でもなく画壇での地位を確立したわけでもなく、美術史からは落ちていた作家が、その上手さで再評価されているという時代なのかもしれない。

https://mohritaroh.hateblo.jp/entry/20181019

今回の京都では、たまたまギャラリートークがある日に当たったので学芸員の話を聞きながら作品を見て回ることができ、いくらか理解が深まったところがある。

例えば、作風に複数のルーツがあり、京都の町衆の要望に多彩の画風を使い分けて応えていたことで、この人なりの画風が曖昧な印象を持ったのだと思われる。

ウィキペディアの「横山華山」を見ても、その多彩な作風・作品がおおよそ次のようにまとめられている。

  • 岸駒の弟子で、細かく震えるような筆の使い方や点苔の打ち方にその影響が伺える
  • 人物画は呉春風、山水画は蕭白風と、画題によって様式を使い分け多彩な作品を描いた
  • 特に風俗画に優品が多い

そもそも「画を望まば我に乞うべし、絵図を求めんとならば円山主水(応挙)よかるべし」と語った曾我蕭白に私淑しつつ、そこで揶揄された円山派の呉春の影響も受けているのだから、ちょっと節操がないくらいの「いいとこ取り」なのではないだろうか。

ギャラリートークで語られていて「なるほどたしかに!」となったことに、当時は銅版画などを通じて日本に入ってきていた西洋の遠近法や光の表現を、横山華山はかなりしっかりと自分のものにしていたという。江戸時代における西洋風の遠近表現といえば、北斎や広重による風景を題材とした浮世絵が思い浮かぶが、華山はそれに先立って、遠景・中景・近景を雲で仕切る従来の日本風の遠近表現ではなく、無限遠から手前までグラデーションがある距離感で山水を描くことができていた。

今回の展示の見ものである《祇園祭礼図巻》にしても、上下巻あわせて30メートルという大作を綿密な取材に基づいて細かく人物や建物、たくさんの山鉾を描きながら、そのパースや構図、人物の大小、位置関係などに破綻なく描いており、また宵山や「祇園ねりもの」といった繁華街の夜を墨でいかにも街灯がなかったころの夜の暗がりというように書いている。

今でも京都の旧家には横山華山の筆による作品がたくさん残っているのだけれど、ささっと書いたような作品が多く、個々に見ると上手いが特筆するような画家ではないのではないかという印象になりがちなのだそうだけれど、あるところにある大作をこういった形でまとめて見ると、ただ上手いだけでなくかなり相当に上手いということがわかってきて、そういう芸術性の追求よりも頼まれた画題をきっちりと書き上げる職人肌というか、上手い町絵師という立ち位置の画家は当時の京都や、ほか全国も町々にたくさんいて、現在では同じように埋もれている。それが近年どんどん再評価されつつあるのだという。

そういった解説を聞けたのはなかなか勉強になった。こういった今では埋もれてしまった画家がこれからもどんどんまとまって展示されてくるのかもしれない。