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表参道で働くシニアのブログ

「たのしい編集」はやっぱり「ただしい編集」がされている本だったけど、本じゃなくてウェブの編集をしているひとにとっての「ただしい編集」ってなんだろう? ということを考えている

「たのしい編集」という本を読んだ。よかった。まずカバーがいい。わざわざ「ただしい」の「だ」に赤字を入れて「たのしい」。このカバーのつくりがまず、この本が「ただしい」本だっていうのを表しているようにおもう。要は「ちゃんと編集されてる」ってことなんだけど。

たのしい編集 本づくりの基礎技術─編集、DTP、校正、装幀

たのしい編集 本づくりの基礎技術─編集、DTP、校正、装幀

以前、たくさんの有名編集者にインタビューして編集術を語ってもらうというビジネス書があったんだけど、あまりちゃんと編集されてないかんじでガッカリしたことがあった。それにくらべると、この本はほんとにちゃんと編集されている。

本文では編集するということはどういうことかを語っていて、その編集の結果どういうアウトプットになるのかを本そのもので示している。ほんとに「ただしい」編集の本である。なんだけどタイトルでは、これは「ただしい」ではなく「たのしい」のだと言ってしまう。そのちょっとした身の引き具合が本にも現れていて、これみよがしに変わったことをしているわけではない。ふつうの編集をふつうにちゃんとやっている

内容は、エッセイ集っぽいつくりになっているけど、典型的・伝統的な意味での商業出版の編集者が、現場でどういう作業をしているのか、それはどういう考え方にもとづいているのか? が戦後の印刷技術の変遷を踏まえたうえで、DTP全盛の2010年代の状況までを反映しつつ、さらに電子書籍も視野に入れながら語られている。「編集」「DTP」「校正」「装幀」(あと最後に「未来」)という技術分野ごとの構成になっていて、紙の編集者が考えていること/考えなければならないことが章ごとにインタビューや参考文献もまじえつつまとめられている。

雑誌や書籍の編集をやってるひとだけじゃなくて、同人誌やウェブの編集をやってるひと、やろうとしている人も読んでみるといいかもしれない。こういう本は、きっともう出てこないようなきがするからだ。出版業界が再編されるのか終焉するのかわからないけど、なんとなくグダグダになっているなか、こういう本をまとめておくには最後のチャンスなんじゃないかなあとおもったりする。

コンテンツの流量からいっても、テキストや絵図を利用した2次元の静的コンテンツは、紙媒体から、ウェブ上のコンテンツが、少なくともフロー的にはメインになっていくだろう。そんななかで編集という業態もあり方も変わってくる。なぜなら、ウェブは基本的に編集者いなくても成立する媒体なのだ。ブログメディアが典型的だけど、文章の書き手だけがいればいい。

じゃあ、(より読まれる)文章コンテンツを製作できれば、それでウェブメディアの編集をしたといえるのか。ウェブの文章コンテンツは、紙の文章コンテンツとつながりを感じることもあるし、紙になかった新しさを感じることもあるし、紙ならこれは許されなかったかもしれないというような断絶を感じることもある。そして、ルールがまだフィックスしてないからこその自由さと多様性を感じることもある。

もっとも、ブログがビジネスになることが喧伝され、ただ「読まれる/読まれない」ということが文章コンテンツを判断するひとつの基準として強く意識されるようになっていて、それ以外の基準があるのかないのかよくわからないという状況になっているようなきがするけど、それはあまりよくないんじゃないかなあ、ということを考えている。つまり、この本のような「ちゃんと編集された」状態になっているウェブの文章コンテンツというのは、どういったことが考えられたものなのだろうかということなんだけど。

この本の構成でいうなら「校正」はそのまま使えるような気もするけど、でもブログコンテンツは簡単に修正できるし、記事広告などの納品しなければならないものは別として、個人のブログメディアであれば、拙速であってもまず公開してみることが優先されるかもしれない。それならば、校正することより大切なものもあるかもしれない。一方で、どのくらいの行間が読みやすいかなどをどうこうしている「編集」のセクションは、レイアウトのクライアント依存が大きなウェブでは無意味に思えるかもしれないが、それでもHTMLやCSSによる修飾や論理マークアップは重要である。

見出しの立て方、釣りや煽りにならないような、あるいはそれを狙うようなやり方。検証可能性も重要だ。ウェブではリンクを張ったりほかのコンテンツを貼り付けたりできるので、読者にただコンテンツだけでなく、それがどういったコンテキスト上にあるものかを、外部リンク・外部コンテンツによってふんだんに提供できるし、一切まったく示さなくもできる(ツイートをスクリーンショットだけで貼るとかね)。

そういった、ウェブならではの「たのしい編集」として共有できるようなものはあり得るのだろうか、といったことを考えたりしないといけないかもなあ、ということをこの本を読んで感じた。

ところで、著者の和田さんは月刊アスキーに関わられていたとのことで、僕は寡聞にして存じ上げないのだけどIT出版方面でも知られた方だそうで、読み進めていたら翔泳社からソフトバンククリエイティブに移った新田さんのお名前が最後のほうに何度も登場して驚いた。20年前に、たまたま読んだDDJJ(当時翔泳社が出してたプログラミング雑誌)の書籍編集者募集を見てのこのこと青山に当時あった翔泳社に出かけていったのが新田さんとのファーストコンタクトで、学生ミニコミ程度の経験しかないずぶの素人を採用してくれたのはいま考えると不思議なんだけど、それが今の自分につながっている。不思議なものだ。

ジェイムス・ブラウンとボブ・ディランのマッシュアップ「ライク・ア・ローリング・セックス・マシーン」がかっこよすぎる!

出だし、こんなに合うのかというのでびっくりしたけど、後半の掛け合いになるところもっとすごい。

Like A Rolling Sex Machine (James Brown vs. Bob Dylan)

セックス・マシーン((紙ジャケ・生産数限定)

セックス・マシーン((紙ジャケ・生産数限定)

ロイヤル・アルバート・ホール

ロイヤル・アルバート・ホール

「ネットに強い」ひとほどフェイスブックが使いづらいの法則というのをでっち上げてみた

ふと気になったことをFacebookとかにざざっと書いて、そしたらコメントけっこうついて、盛り上がったしちゃんとブログにまとめよう、ということがまれにあるんだけど、まとめてる時点で挫折してしまってけっきょく公開しないってことがよくある。

で、公開しないのもやっぱ後悔するので、炎上も仕方ないとあきらめて、そのままをコピペしてみる。いろいろ突っ込みどころが多すぎるけど(とくに「全部」とかいろいろ確認もしないで書いてたりするのはツライ)、全体的に雑な議論だということをご承知いただいたうえで、なにかのたたき台にでもなれば幸いです。

昨日、チャットでちらっと書いたことをメモ
フェイスブックが使いにくいみたいな意見はよく見かける
ネット初心者・上級者・古参、関係なく見かける
このひと、ネットのリテラシー高くて、ほかのツールはすぐさくさく使えてるのに、フェイスブックにはすごいダメ出してる、みたいな人いる
でも、個人的な感覚として、そんな使いにくいインターフェースではない
慣れなのかなともおもったけど、いつまでも慣れないってひともよく見かける
ということは、慣れとかリテラシーとかじゃない何かがある
むしろ、既存のネットに慣れてたりリテラシーがあったりすると、それが邪魔をするようなないかがある
例えば、ニュースフィードが投稿を間引いたり、並び替えたりするのを、すごい怒ってるひとをよく見かける
時系列で全部を並べろ、という
でも、時系列で全部を並べられても読めないんだから、それなりのアルゴリズムエッジランクという名前ついてて、自分に親しい友達がいいね!したエッジはランクが高い、みたいなページランクっぽい再帰っぽさあっておもしろい)で選んでくれるの便利だとおもう
けど、それは便利ではないという意見もある
自分で情報をちゃんと取捨選択したいという意識だろう
いまのネットの情報強者としての正しいあり方
そういえば、むかしはグーグルの検索結果も10ページ目くらいまでひたすら見てた
いちじき、オートページャライズめっちゃ流行って、みんなひたすら検索結果が長く長く続いて、最後まで見るのが情報強者みたいなところあった
でも、いまきっと2ページまでくらいまでしか見ないひと増えたのでは?
フェイスブックエッジランク、まだ10ページ目まで見たいひとが多いのに2ページまでしか出さなくて不満言われてるイメージ
そもそも情報に対するサイト設計の思想が違うんだとおもう
既存のネットは、リンクをたどって移動していって、よい情報を自力で探し出すというやり方
フェイスブックがやってるのは、ひたすら大量に流れこんでくるフィードをいかに効率よくさばいていくかというかんじ
自分が動いていくのか、自分のところに流れ込んでくるのか
まるっきり正反対に違う考え方で、このサイトはつくられてる
だから、既存のインターネットにすごい慣れてて、そのリテラシーのままで使おうとするとすごい使いにくさある
「ネットに強い」ひとほどフェイスブックが使いづらいの法則でした

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