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in between days

表参道で働くシニアのブログ

なぜおじさんは (^_^; という顔文字を多用するのか?

anond.hatelabo.jp

って記事がホットエントリーのトップに入ってて、絵文字的でいうとまさに

orz

ってかんじになっちゃいましたよ。いやー、使ってたよ。ほんとに使ってたよ。メールの文末ずっとそんなかんじでした (^^;;

いまだとなんだろうな「ww」くらいのニュアンスで使ってたかもしれない。そこまでマジじゃないよーっていう記号みたいなかんじ。

そんで、なぜおじさんはこの顔文字を多用するのかというと、これ意外とめっちゃ単純で、そのおじさんが若いころには、微妙なニュアンスを表現できる便利な顔文字がそれしかなかったからとだとおもうんですよね。

まあひとつの仮説ですけど、多用してたおじさん的にはそうだったよなーという実感がある。

いや、あるだろう。微妙なニュアンスの顔文字っていうなら (´・ω・) とか (;´Д`) とか ( ´∀`) とか! っていうひとは、ネット的にまだまだ若い

その手の顔文字は、あめぞう2ちゃんねる系列の掲示板カルチャーで生まれた顔文字であって、1990年代のメーリングリスト界隈ではまだ生まれてなかった(はず)。

顔文字ひとつとっても流行と伝統と文化が歴史があるわけですよ。ちょっと上で顔文字を3つ書いたけど

(´・ω・) (;´Д`)  ( ´∀`)

最後のはモナーで、ちょっと懐かしさがある

( ^ω^)

これとかはVIP系というイメージがあって、まだ新しいという印象がある。文脈でも違ってくるし

 \(^o^)/ 

こ顔文字なんかいまだと「オワタ」みたいなイメージだけど、ガラケー全盛期に田舎の友達から送られてくるケータイメールで使われてりゃふつうに「わーい」の意味だったりするだろうな。

ちなみになんで

(^_^; 

この顔文字なのかというと、90年代のメーリングリスト文化において、顔文字はASCII文字しか許されなかったという事情もある。なので2000年代になり、口が全角文字になった

(^◇^; 

この絵文字を見たひとびとは「そんな自由な世界があったのか!」と自らの教条主義をおもいしらされたそうです。どっとはらい ;-)

The New Hacker's Dictionary (MIT Press)

The New Hacker's Dictionary (MIT Press)

だれか日本の顔文字の歴史をまとめたひといないかな……

サンボマスターを渋谷系と書いてしまった記事について(セカオワだったらどうだろう?)

(この記事は下書きに3ヶ月くらい寝かしてたものです)

5月にサンボマスター渋谷系と書いたら、ブコメとかでけっこういろいろ言われてしまった。たいへん失礼いたしました。

渋谷系の音楽っていうとどのバンドを思い出す? シンバルズ? フリッパーズギター? それともサンボマスター? みたいな「渋谷系」のレキシというかイメージの話 - in between days

とくに深い考えがあったタイトルではなく、貼った動画のなかでいちばん知られてそうなバンドなんだろう? ってだけ入れたんだけど、自分のイベント「渋谷の日・渋谷的な夜」でも実際にサンボマスター「夜が明けたら」をかけたわけで、いちおう自分のなかで整合性は取れていて、サンボマスターのソウル指向をどのように評価してるかで見方が変わるんだろうなとおもっている。

実はセカオワもいれようとおもってた

最初に音源をピックアップした段階では、サンボマスターの次にセカオワを貼って、だいたいこういうかんじで原稿がおわるつもりだった。

虹色の戦争 / 世界の終わり


BOARD GAME / DOG HAIR DRESSERS


君とのサンデイ- / Clownfish


For You / Czecho No Republic

で、あらためて見なおして、たしかにこれもありかもしれないけど、もっとちゃんと「ポスト渋谷系」っぽいバンドたくさんあるよなと思い直し、バッサリとカットしてジェットラグから戻ってくるみたいにしたのはよかったなっておもった。

そもそもあのリスト、ときおり勘違いされてたひともいたけど、往年の渋谷系そのものではなく、渋谷系がムーブメントとしては下火あるいはデス系みたいなサブジャンルにどんどん拡散してしまったあとに、ジャンルとして参照可能になってからの「渋谷系」っぽい音を90年代後半以降から探す、って趣旨のリストなので、いろんな方向から拾ってあったほうがサバービアスイートっぽさあってそれもありだったかもしれない。とはいえ、セカオワ入れてたらどうだったろうな……?

最近のバンドも入れたかった

そういう意味で、最近このあたりのバンドが気になっていて、こういうサウンドまた増えてるのかな? ほかにもよいバンドがあったら教えてください。

Suddenly / Predawn


I Want You Back / Homecomings


手のなかの鳥

手のなかの鳥

I Want You Back EP

I Want You Back EP

SUNSET TOWN e.p.

SUNSET TOWN e.p.

おまけ・90年ごろの渋谷系周辺の音楽状況として書いていなかったもの

先の記事では渋谷系をめぐる音楽状況として3つの方向性みたいなものを書いたけど、実はそれでは抜け落ちているのではないか? というところもあって、ひとつにはいろいろな音楽が再評価されたなかに、必ずしもクラブ向けではなかったり、ソウル・ミュージックではなかったりするものがあるということ。

例えば、「ソフトロック」という視点で見てみると、また違う世界が広がってそう(ぼくあまりソフトロックは得意でないのでだれかに書いてほしい)

そのほか「フリーソウル」という言葉もこのころ生まれたが、それはソウル・ミュージックということでいいのかもしれない。ただ、渋谷系の黒人音楽への理解のし方が違うということを、ラブタンバリンズのエリが語っている。

とはいえ、ラブタンのエリの歌声はリンダ・ルイスのようで、英国音楽的ではある……。

もうひとつはラテンだけど、これはクラブ志向に入れていいのかもしれない。

おまけのおまけ:宇多田ヒカル渋谷系

90年代の中ごろを境にして、ムーブメントとしての渋谷系と、その後のジャンルになってからの「渋谷系」といわれる音楽がどう違っているのか? どうジャンルとして固定化されたのかを考えてみるんだけど、まずクラブ音楽、ダンスミュージックとしての性格は間違いなく消えていると言えるんじゃないだろうか。

考えてみれば、90年代はダンスミュージックがこれほど流行ったことがあったのかというくらい、メジャーからマイナーまでダンスサウンドが日本中を席巻した時代であり、サブカルチャー(あるいはアンダーグラウンド)な面ではヒップホップもやテクノ・ミュージックの熱が高まっているし、渋谷系もその影響を受けた文化系の一派と見ることができる。

一方でメジャーシーンでは、それこそ「TKプロデュース」の全盛期であり、小室哲哉が手がけたtrfやglobeなどがチャートを賑わせた。しかし、その熱は1998年に突然終わりを告げるようだ(ウィキペディアによるとだけど)。

1997年に安室奈美恵「CAN YOU CELEBRATE?」が年間ランキング1位を獲得したものの、翌1998年は小室作品がTOP30にランクインしないなどその失速は急激なものであり……

小室ファミリー - Wikipedia

1998年に何があったのか? 賢明な読者諸君にはお分かりのように、ここで「宇多田ヒカルがデビュー」してるというのはかなり象徴的なんではでないかなあとおもう。宇多田ヒカルが作る音楽は一貫してずっとクラブミュージックなんだけど、しかしそこでダンスを前提としたような聞かれ方をほとんどしていなさそうということがおもしろい。

文化系的なダンス音楽でチャートのトップを取ってしまったという無理矢理な見方でもって、ダンス音楽のアンダーグラウンドとメジャーシーンは、宇多田ヒカルという個人によって統合されてしまったのだ、みたいな壮大な物語を語ることも可能ではないだろうか(ということは宇野さんの本には書いてなかったとおもう)。

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

1998年の宇多田ヒカル (新潮新書)

おまけのおまけその2 東京のライブハウスシーンの変遷と○○系

90年代の東京の音楽シーンを、そこで活躍したプレイヤーたちがどういうハコでプレイしていたのかを考えるのもおもしろい。

例えば、新宿にJAMというライブハウスがあって、そこに集まったモッズな人たちが90年代以降のさまざまな音楽シーンのベースになっていたりする。その話がこのインタビューで読めて、すごく面白い。

www.cdjournal.com

その当時、明治通りをはさんだほぼ向かい側に、よりメジャーなバンドが出演する日清パワーステーションがあった。新宿にオールスタンディングで方向性の違うライブハウスが2つ隣接していたことは、音楽の街として新宿の位置づけに影響していたかもしれない。

90年代にはいって、渋谷にもクラブ・クアトロやON AIR(いまのO-EAST)ができたが、これは「渋谷系」の成立に影響を与えているだろうし、下北沢により小さなクラブQUEができたことは、レコードショップ「ハイライン」の存在と並んで、下北沢にインディギターロックっぽさをもたらしたようにおもう。

新宿には今もJAMは同じ場所にあるけれど、パワステが閉店し、ロフトが移転し、そしてリキッドルームが終わった(恵比寿移転)したことで、なにか新宿の時代が終わったような印象があった。

小沢健二はなぜ帰ることにしたのだろう……

(ブログの下書きに入れっぱなしにしていた記事をいまさら公開してみる)

オザケンのライブ、周りの感想をみるかぎりだいたい絶賛なかんじだ。とはいえ、小沢健二ファンの自分に見えているのは小沢健二ファンの感想であり、あまり知らないで行ったひとには不評なのかもしれないけど、ずっとオザケンファンをやってきた人たちが、今回のライブを絶賛しているというのはなかなかに興味深い。なぜなら、ライブ直後にもちょっと書いたけど、今回のライブで、小沢健二は旧曲よりも新曲を大きくアピールし、サウンドやアレンジも大きく変え、これまではわかりやすいリアルな世界に沿っていた詩世界もかなり難しい言葉をどんどん入れて観念的、あるいは寓話的な世界観を強く押し出している。これだけの変更を加えながら、古くからの信者を納得させるのはなかなか容易ではない。一般的に古いファンは、どれだけアーティストを信頼しているとはいえ、それは自分たちが聞きたいものを聞かせてくれるときに限っての話であり、満足させてくれない教祖には冷たいものだ。実際にオザケンのファンといえども、すべてがすべて「朗読」を素晴らしいと思っているわけではないだろう。

小沢健二のライブ・コンサートに行ってきました。そして帰ってきました。 - in between days

上記の記事をライブ直後に書いたあと、これを読んだひとにときおり「で、ライブはけっきょく良かったの? 悪かったの?」と聞かれる。ははは。笑ってごまかすことでもないが、ぼくは微妙なかんじで判断を避けている。僕はまあわりと冷淡な信者なので、どんなサウンドに寄ってくれてもいいけど、良かったか悪かったかといえば、良かった。良かったなあとおもって会場をあとにした。でも、絶賛されていると「そうかなあ」という気持ちもある。今回のサウンドや新曲はすべて「魔法的」という言葉のもとで繰り広がられるトータルコンセプトのライブであり、それは成功しているとおもった、くらいのなんというかちょっと引いたところに立ちたいような気持ちになる。

なにが判断を留保させているのかというと、このひとはなぜ急に寓話の世界を大きくフィーチャーするようになったのか? ということがよくわからないようであり、なんかわかるようでもあり、それは良いのことのようでもあり、どうなんだろう? という疑念もある。とはいえ、雑誌「子どもと昔話」で寓話「うさぎ!」の連載がスタートしたのが2005年で、翌年にリリースされたアルバムは、このサントラという触れ込みだったようにおぼえている。なので、小沢健二は寓話的な世界をもう11年も模索してきたということなのかもしれない。

Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学

Ecology Of Everyday Life 毎日の環境学

このアルバムはインストだったけど、曲タイトルを見ると、今回のライブでの新曲のタイトルに雰囲気が似ているようにもおもえる。ひょっとして、このときはまだ、そういった寓話的な世界がまだ歌詞としては実を結んでいなくて、それで次にやったライブツアーはキャリアの総決算みたいなものになり、ただ、少しだけ新曲もあり、そしてここにきてようやく新しい寓話的な詩世界がしっくりくる新曲がどんどん生まれてきて、新しいサイクルに得入した、というそういうものだったのだろうか? と考えたりもするけど。

前の記事にも書いたけど、今回の小沢健二のコンサートをひとことで表すなら、絵本「かいじゅうたちのいるところ」のようなものだったなあというのが、ぼくの感想のすべてだ。

この絵本の解釈にはいろいろあるけれど、基本的には典型的な「行きて帰りし物語」というファンタジーの定石で、主人公がどこか異世界に行き、この世のものならぬ体験をし、そして元の場所に戻ってくる。戻ってきたとき、すべてはまったく同じように見えて、出掛けたときからほとんど時間は経ってないようですらあっても、実は主人公はどこか変わっている(成長している)。

コンサートの最後に小沢が「日常に帰ろう」と言ったとき、僕は二重にびっくりしてしまって、それは今まで見てきたコンサートが「かいじゅうたちのいるところ」のようだなとずっと思っていたら、やっぱり最後はスープを食べに帰るのか! とそのシンクロに驚いたことと、もうひとつは小沢健二は果たしてそういうことを言う人だったかな? と疑問におもったからだった(実際には前のコンサートの最後にも言ってたらしい、忘れてたけど)。

小沢健二のこれまでの音楽のベースは常に「旅」にあるとおもってきた。終わることのない旅。ボヘミアン、ホーボー、ビート、トラヴェラー。「僕らが旅に出る理由」という曲を、友部正人「どうして旅に出なかったんだ」のアンサーソングとして聞く。あるだけの毛布やマフラーと車に乗り込み夢を見る「地上の夜」や、夜行列車で荒れた海をわたる「ブルーの構図のブルーズ」。小沢健二の楽曲には、世界中のどこかの町から町へと旅をし続けているようなイメージがある。「エクレクティック」でニューヨークに引きこもったあと、旅の先に選んだのが寓話の世界で、そしてここでようやく明確に「帰る」ことをメッセージの中に折り込むことにしたようだ。

このツアーは1回しか見てなくて歌詞をちゃんと覚えてないけど、「現実と幻想が重なりあう場所で」といったような歌があったように覚えていて、それがすごく印象に残っている。音楽家として、つまりひとつの寓話の世界を作り出すことを職業としているひとが、現実の世界について何か影響力を与えられるとしたら、それは多くのヒッピーやパンクスのようにメッセージ自体を声高に歌うことではなく、歌を聞きにくる人たちをもれなくすべて寓話の世界に連れ出して、そこで自分自身が変わるような経験を与えたうえで、現実の世界に帰ること、そういうことなのではないか。

リアルの世界をリアルに旅してきたボヘミアンのおっさんがたどり着いたのが、寓話と現実が重ね合わせになった場所であり、行きて帰りし物語でいう「帰りし場所」を見出したということは、ひとつの成長であるのか、正しい戦略であるのか、それともひょっとすると後退であるのか。この寓話的な世界観を、小沢に子供ができたことと重ねあわせてとらえる見方もあるけど、ぼくはそれは主要な理由ではないとおもう。ただ、なんだかよくわからない、というのが現時点での感想です。

“1976”

“1976”

かいじゅうたちのいるところ-オリジナル・サウンドトラック

The Hobbit: or There and Back Again